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ハノーファー:大型化の韓国も190cmセンデロスの一発を浴び、アジア勢はグループステージで総崩れ

中田英寿とスラム街の子ども

 対ブラジル戦の後、サッカーの選手生活から去ることを表明した中田英寿がフィリピンのマニラ近くのスラム街で子どもたちとボールを蹴っている映像が紹介された。選手時代から貧困問題にかかわっていたという彼は、人生の次の局面を抗したところへ向けるのかもしれない。
 1984年に編集局長を退いた私は、次の6年間企画会社にいた。そのとき、ユニセフ(国際児童基金)への協力をテーマにしたイベントを数多く手がけた。市民ランニングの大会を創設したこともあり、南米選抜対日本選抜の対戦を企画して、日本協会からユニセフへ10万ドルの寄付をしてもらったこともある。
 世界の子どもたちにユニセフが取り組んでいた予防注射の基金を――という具体的な目的と同時に、日本のスポーツ人に恵まれない子どもたちへの関心を高めて欲しいという願いもあった。ワールドカップやEUROなどの大会でも、あるいは日常のリーグ戦でも、取材のたびにヨーロッパのフットボーラーのこの点への気配りに心打たれてきた。
 中田英寿のように知力も体力も名声もある若い人が、こうした問題に取り組むことは、日本と世界への強いインパクトになるだろう。


韓国メディアの緊張感

 さて、ワールドカップの旅――。06年6月23日、私はハノーファーのスタジアムにいた。グループステージの最終日に、古くからの仲間である韓国代表の試合を見ようとやってきたのだった。
 メディアセンターは静まり返っていた。時間が過ぎ、韓国の記者やカメラマンが集まってきていても音も声もなかった。そこは、プールを改築したらしく、立派な飛び込み台があるのが面白かった。
 例によってチケットを受け取るためのカメラマンの場所取りがある。そのためにあらかじめ荷物だけ並べておくのだが、誰かが荷物を後から紛れ込ませようとしたらしく、カメラマン同士の激しいやり取りがあった。その大声と周囲の静寂から、韓国のメディアの最終戦を控えての緊張感と神経の昂ぶりが見られた。


平均的には韓国が大きいのに

 グループGでトーゴに2−1、フランスに1−1で勝点4の韓国は、スイスと勝点で並んでいた。得失点差も同じだが、得点が1点多いためグループGのトップに立っていた。しかし、2分け未勝利のフランスがトーゴに勝てば、勝点5となる。韓国はスイスに勝てば、勝点7でダントツになるが、負ければスイス、フランスの下に、引き分ければ勝点5で2位以内となる。
 スタジアム上段の記者席でメンバー表を見ると、スイスのフィールドプレーヤーは180〜183cmが3人、184cmが1人、190cmが1人。韓国は180〜183cmが4人、184cm以上が3人となっている。スイスの控えに190cm以上が3人もいるのに驚いたが、スターティング・ラインナップでは、180センチ以上で見ると韓国の方が数は多いが、一番のノッポはスイスのフィリップ・センデロス(アーセナル=イングランド)の190cm。韓国ではチェ・ジンチョル(全北)の187cm。清水のチョ・ジェジンの185cmがこれに次ぎ、スイスの2番手はフィリップ・デーゲン(ドルトムント=ドイツ)の184cmである。
 両チームの体格を比べるとき、私は平均身長よりも何cm以上が何人ということを重く見る。流れの中での空中戦でも局面の身長差は大切だが、FKやCKの、いわゆるプレースキック(停止球)――セットプレーのときには特に重要となる。
 韓国は前の世代より大きいプレーヤーをそろえ、ジーコ・ジャパンよりも体格がいい。ただ、この大会のヨーロッパ各国は190cm級を登場させるのが普通になっているのに、韓国はそこまでいっていない。
 その3cmの差が、23分に出た。右サイドのFKをハカン・ヤキン(ヤングボーイズ)が蹴り、センデロスがヘディングで叩き込んだ。チェ・ジンチョルが競ったが、センデロスの方が踏み切りが早かった。ゴールを決めた彼は、目の下を切っていた。チェ・ジンチョルの頭が当たったのだ。つまり、センデロスの方がそれだけ高く上がっていたということだった。
 この日のスイスの試合ぶりは激しく、また冷静だった。先制ゴールで彼らは自分たちのプレーに自信を持った。韓国にいい攻めもあり、強いシュートもあったが決まらない。71分にヤキンに変わって起用されたザビエ・マーゲラ(チューリヒ)が、交代選手らしく個人力で突破を仕掛け、そこから生まれたチャンスをアレクサンデル・フレイ(ドルトムント=ドイツ)が決めた。
 旧制中学生のころから朝鮮半島の選手とはいいライバルだった私には、この、隣のサッカー国の代表はいつの大会でも、最も気にかかる一つ。そしていつも体力的に日本を上回る彼らが、本大会でその走力と技術を十分に発揮できないのを、もどかしく思ってきた。02年はホームの利もあってベスト4の快挙となったが、ドイツではそうはいかなかった。
 この日でアジア勢は、オーストラリア以外は大会を去る。


(週刊サッカーマガジン 2006年11月21日号)

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