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1936年ベルリン・オリンピック「奇跡の逆転を生んだ近代戦術」

 日本は大会までにベルリンで練習試合を行い、当時ヨーロッパの各チームが採用していた3FBシステムの守りを取り入れていたが、前半に2得点されて、2-0とリードされた。後半はそのスウェーデンが風上に立つので、6000人の観客と、その中の多数のスウェーデンのサポーターたちは、彼らの勝利と思ったに違いない。しかし、後半4分、日本は左サイドの攻めから、CF川本がシュートを決めて1-2とした。

 前半にもパス攻撃でチャンスを作った日本は、このゴールで勢いづいた。18分に、やはり左からのボールを右近が決めて、2-2の同点。余裕たっぷりだったスウェーデン側に焦りが見られ、攻めはいささか強引過ぎるようになる。GK佐野と、DFの体を張っての守りで追加点を奪われず、「1点取られたらガタッと緊張の糸が切れそうな感じだった」(川本)時間が過ぎ、タイムアップまで後5分のところで、右サイドの松永に出たパスを、相手DFのミスに乗じて足の速い松永が突進してシュートし、3-2とした。

 観戦した田辺五兵衛(大会視察員)は、「5回やって1回勝てるかどうかの相手だった」と奇跡的な逆転勝ちを語っているが、「日本の勝利は近代的な技術による」と評価する欧州の批評家もいた。

 その一人、ドイツのハンス・ヤルケの試合評が、当日の「アサヒスポーツ」(週刊グラビアスポーツ誌)のオリンピック特集号に掲載されている。彼は言う。「日本は、この試合でサッカーの醍醐味を味わわせてくれた。高い技術的プレーを知っているはずのベルリン市民も、日本チームが示した極めて細かいプレーに感嘆した。加茂兄弟は見事な左翼を形成し、CF川本の巧技は、はれぼれするほどだった。スウェーデンの攻撃と日本の攻撃を比べると、はるかに日本の方が近代的で優勢だった。」

 そのころのドイツ全体が日本に好意的で、またドイツサッカーがオットー・ネルツの理論で、イングランド・スタイルより、ショートパス戦術に傾いていた---という背景を勘定しても、日本の勝利が“まぐれ”でもなく、“精神力”だけでもなかったことを表している。

 イレブンは2日後の2回戦までに疲れが回復せず、イタリア(優勝)との対戦は、動きが鈍くて0-8の大敗となったが、昭和5年(1930年)の極東大会で足場を築いた日本代表が、戦前のひとつのピークに達したといえる。

 第二次大戦後、ノーベル賞に輝いた湯川秀樹博士が授賞式の時に、記者たちから「ベルリンの奇跡」を聞かれ、ボールをヘディングして見せたエピソードは、スウェーデンの人たちにとっての、このときのショックの大きさを示すものだ。


(ジェイレブ NOV.1992)

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