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回想ヨーロッパ選手権(3)

 サッカーの母国イングランドで開催されたEURO96は、大会直前の5月31日に2002年のFIFAワールドカップの日韓共催が決まったこともあって、私にはとても印象の強いヨーロッパ選手権となった。
 日本はちょうどバブル経済の頂点から崩壊に向かう時期だったのに対して英国経済は力強く立ち直っていた。そして、イングランドのサッカーもまた、設備の老朽化やフーリガン横行の80年代から大改革をとげていた。

 あの89年の「ヒルズバラの悲劇」、リバプールのファンが96人も死亡した大事故を調査したテーラー判事の報告書、テーラー・リポートは、「サッカーという最も大衆に愛されているスポーツの観戦という点で、すべてのイングランドの施設は、あまりにも貧弱で、安全性に欠け、快適性からは程遠い。この状態を根本的に解決しなければ、フーリガニズムを排斥し、市民がサッカーを安心して楽しむことは出来ない」として、フットボール・プール(サッカーくじ)の税金の一部をスタジアムの改修・新設にあてることにし、またフーリガン対策にも力を入れた。
 大会の会場となったアストン・ビラのビラパーク(バーミンガム市)リーズ・ユナイテッドのエランド・ロード(リーズ市)ニューカッスル・ユナイテッドのセント・ジェームズパーク(ニューカッスル市)日本でも超有名なマンチェスター・ユナイテッドのオールド・トラフォード、そしてリバプールのアンフィールド、前記シェフィールドのヒルズバラ、ノッティンガム・フォレストのシティ・グラウンド(ノッティンガム市)、さらに聖地ウェンブリー競技場といった8会場は美しく便利に改装されていた。
 リバプールのホーム、アンフィールドもゴール後方の立見席(コップ)が取り壊され、全てがイス席となっていた。

 そうしたスタジアムの改良とともに、ベイ・テレビのB・スカイ・Bによるプレミアリーグの放映権が各クラブに大きな収入をもたらし、その後のイングランド・サッカーの活況(かっきょう)となるのだが、その重要な時期に“本家”を訪れることができたのは、とても有難いチャンスだった。
 そして、それまでの参加8チームから16チームに拡大した大会は、まことにヨーロッパの祭りにふさわしく華やかで、レベルが高く、しかも、激しい中にプレーヤーの節度があって随所にヨーロッパの一体感があり、サッカーの国際試合は現在の地球での最高のエンターテイメントという私の持論を改めてかみしめることができた。
 優勝したのは結局ドイツだったが、彼らが翌日のタイムス紙に全面広告を掲載し、イレブンのフォトとともに快適で立派なスタジアムでプレーできたことを心から感謝するとのお礼の言葉を残した。


(月刊サッカー通信BB版 2008年6月 第2号掲載)

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