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回想ヨーロッパ選手権(4)

FOOTBALL WITHOUT FRONTIER

 サッカーの母国・イングランドでの96年ヨーロッパ選手権大会のスローガンは「FOOTBALL COMES HOME(サッカー故郷へ帰る)」だった。
 4年後のEURO2000のスローガンは「FOOTBALL WITHOUT FRONTIER(フットボールに国境なし)」―ベルギーとオランダの二国共催大会だったから、参加16チームも、サポーターも、ベルギーとオランダのそれぞれの4会場の間を往来した。
 大会は6月10日、ブリュッセルでのベルギー対スウェーデンに始まり、7月2日、ロッテルダムでのフランス対イタリアの決勝で終わった。
 インターネットでの取材申請となったこの大会では、私は、何とか申請して承認を受けながら、それを確認するのが遅れて現地に入ったのは6月24日、アムステルダムでの準々決勝、ポルトガル(A組1位)対トルコ(B組2位)から、10日ばかりの短いEUROとなった。

 98年のワールドカップで優勝したフランスをはじめ、イタリア、スペイン、オランダ。ポルトガル、ドイツ、イングランドと、欧州の常連が顔をそろえたが、ドイツは低迷期に入っていて、イングランドもまた不振、1次リーグA組でポルトガル(3勝)ルーマニア(1勝1分け1敗)に上位を奪われ、イングランドは3位(1勝2敗)ドイツ(1分け2敗)はこの組の最下位で大会を去った。
 準決勝はフランス(2−1)ポルトガル、イタリア(0−0、PK3−1)オランダで、決勝はフランスが90分間1−1の後の延長(ゴールデンゴール制を採用)で103分のトレゼゲのゴールで制し、ワールドチャンピオンとEUROの2冠となった。

 短い滞在の中で、アムステルダムのアヤックスFCのホームのモダンな屋根つきスタジアム「ドーム」に驚き、古都ブルージェではチョコレートの名店ゴディバを訪ねた。
 ロッテルダムの決勝では、古くから馴染みの欧州の記者たちの懐旧談(かいきゅうだん)をかわし、フランスの決勝ゴールのときは隣席の大記者、ブライアン・グランヴィルが「カンナバーロがヘディングのミスをした。彼ももう衰えたのかナ」と囁(ささや)いたのを思い出す。
 そのカンナバーロは2006年のワールドカップでジダンのフランスを制して優勝した。ただし今度の大会では彼の負傷による不参加と、ピルロの欠場が準々決勝止まりの理由となった。


プロのスリの腕前とストライカー

 この大会で私は生まれて初めて旅行中に荷物を盗まれるという苦い経験をした。
 アムステルダムの中央駅で列車に乗り込んで、日本の記者仲間と顔を合わせ、同じ車輌で荷物を網棚に上げるなどしていたときだった。いつも一人旅で油断はしないのだが、道連れが出来てホッとしたのかも知れない。複数のスリ仲間のようで、一人が私たちに英語で話しかけ、そちらに注意が向いた間に、私の足元、つまり話し手の方へ顔を向けて「視野の外」となった手さげバッグを持っていった。
 5秒ほど遅れて気がついて列車を降りてプラットホームを探したが、彼らの影はなかった。その小カバンの中に航空券と小型のカメラ、そして手帳が入っていた。航空券は再発行してもらい、カメラはまた買えるけれど、手帳にはサッカー史の年代順の書き込みや旅行スケジュールと、そのメモも記入されていた。まことに惜しいことをしてしまった。
 次の日、ロッテルダムの駅の警察に出向いて被害届けを出し、初めての経験だと苦笑いしたが、振り返ってみれば盗みの専門家たちの手口の鮮やかさに改めて感心する。一人に話しかけられて、こちらの気が荷物から離れ、さらに視線も相手の顔に向いてしまう。その一瞬、私の視野の外にあるバッグを、さり気なくさっと持っていった。そのタイミングの妙。
 ストライカーの記事の中にも「相手から消える」という言葉を使う私だが、これは相手の視野からストライカーがいったん消えてボールが来たときに飛び込むのがそれ―――泥棒くんたちがディフェンダーである私の視野から一瞬荷物が消えたときに盗ったところがすごい――相手の虚をつくという攻めのコツを彼らから学ぶことになるとは――EURO2000のとんだ収穫の一つだった。


(月刊サッカー通信BB版 2008年7月号掲載)

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