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【番外編】大迫勇也とメキシコ得点王 しなやかで強い体と抜群のシュート力を成長期に懸命に、順調に伸ばした

 このページの表題は「我が心のゴールハンター」で、現在は日本代表の歴史の中での最多得点記録を持ち、1968年のメキシコ・オリンピック得点王であった釜本邦茂のシリーズを続けている。この号でいよいよメキシコ・オリンピックの本舞台でのプレーへと移るところだったが、高校選手権で久しぶりに見た逸材・大迫勇也(おおさこ・ゆうや、鹿児島城西)を若き日の釜本邦茂のイメージにダブらせて考えてみることにした。

 第87回高校選手権決勝で、大迫勇也の素晴らしいプレーに目を見張り、広島皆実イレブンに、かつての王国・広島の姿を、若い年代の選手のレベルの高さを――個人技や体力や意地とともに、サッカー常識の確かさに感動した。
 ここ2年ばかりのU−18クラスの試合で、シュートへの意欲の高まる様子が見られ、その傾向が日本代表をはじめ、各層にも広がるのをひそかに喜んでいた。
 技術は高くなった。パスも上達した。よく走るようになった。ただし、得点力は低いというのが、定説のようになっていた日本サッカーにも変化の兆しありと見ていた。そんな流れの中で現れてきたのが大迫勇也という優れた素材である。

 鹿児島城西高校3年生、18歳の彼は、長身でしなやかで、ボール扱いが上手く、ドリブルも良い。
 何より、私にとって嬉しいのはシュートが上手なことだ。高校選手権で決めた10ゴールはもちろん、点にならなかったシュートにも自分の得意な角度から、ゴールの枠ギリギリを狙っていたものも多かった。この位置からならここへ、という形ができているようだ。
 彼の多彩なプレー、例えば準決勝などで見せた、エリア内左をタテに突き、ゴールライン上をポストに向かってドリブルする。また、決勝でのチーム2点目を生んだパスのように、DFの密着マークを受けつつ後方からのボールを右足で止めて、その右足で前方に流し込み、エリア内に走り込んでくる平原慎也につないだプレーなども高く評価されるのだが、そうした能力もシュートそのものの決定力があってこそ、ストライカーとして生きてくる。
 その点で、大迫が右足も左足も、しっかりボールをゴールへ向かって蹴れるということは大きな財産といえる。
 日本サッカーの歴史の上で、プロフェッショナル時代を含めて、釜本のシュートのうまさは抜群だったが、彼と同様にしっかりしたシュートの形を持ったカズこと三浦知良が代表の歴代得点ランキングで釜本のAマッチ75得点に次ぐ、65得点を記録していることと、このことは無縁ではない。

 釜本の山城高校時代の後輩であり、ヤンマーではチームメイトで、CBだった浜頭昌宏(はまとう・まさひろ)さんは、大迫を見て、「ガマさんの高校時代の“しなやかさ”にそっくりだと思った」と言った。早大に入って、(この連載でも記述にある)2年目の日本代表の長期合宿での集中トレーニングによって、たくましくなった釜本だが、高校時代は力強さより柔らかさが目立っていた。動きは遅く見えたが、実際には走っても速く、突破力もあった。

 シュートの練習は、山城高校時代から熱心だった。早大へ入ってさらに伸びるのだが、入学したばかりの彼のプレーを見た二宮洋一さん(故人、40−50年代の日本代表CF)が、私に「釜本はうまい」と褒めたことがあった。
 ズバ抜けた体格で、専門家もメディアも「パワーの釜本邦茂、スピードの杉山隆一、テクニックの宮本輝紀」という表現で、64年の東京オリンピックの期待の星としたのだが、かつて朝日新聞で「二宮の前に二宮なく、二宮のあとに二宮なし」と評されたCF二宮さんが早大1年の釜本を「うまい」と言ったのは、シュートのうまさ、ボールを蹴るうまさ、踏み込みから蹴り足のバックスイング、フォロースルーの一連の動作の美しさと、インステップキックのインパクトの強さ、確かさを見てのことだった。
 体格とリーチの長さからくる余裕と、このシュートのうまさが、釜本のストライカーの基礎であり、その右足の振りの速さが、外国のトッププロをも驚かせ、それが栄光のゴールを生む大きな武器となる。

 36歳のとき、世界選抜チームに加わり、スペインのバルセロナとのユニセフ・チャリティマッチに出場した。ヨハン・クライフやベルント・シュスターをはじめとするスーパースターのプレーのうまさに感服しながらも、彼は、“シュートは”“蹴ることは”彼らに負けない――と思ったと言う。
 大迫勇也という新しい素材が、釜本邦茂の成長期のように、懸命に、順調に伸びるかどうか、日本サッカーの楽しみが増えた。


(週刊サッカーマガジン 2009年2月3日号)

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