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FIFAコーチング・スクールは世界最高水準の研修コース

 毎日実技と講義が4時間ずつ、合計8時間を一週に5日ずつ行ない、これを3カ月続けた。実技はつまりプレーだから、一日4時間のサッカーのプレーはプロ選手以上の労働となった。世界で最も有名なクラブの一つマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)は第二次大戦後24年間指導したマット・バスビー監督によってハイレベルのチームとなったが、バスビーはそれまでのイングランドの監督とは異なり、トレーニング・スーツを着て、選手とともにプレーをした。彼が監督を引退したのは、選手と一緒にグラウンドに立てなくなったから、だった。クラマーも、コーチは知識だけでなく体力の点でも模範になること、同じFでもFAT(太っている)はダメでFIT(コンディションがいい)でなければならないとした。60才になれば長距離を走ることはムリかもしれないが、少年たちにプレーをやって見せることができるのは大切だということだ。

 参加者は、アジア各国から28人、日本から12人の合計40人。7月15日、東京の岸記念体育会館で午前10時から開校式を行ない、翌16日から検見川の東大総合グラウンドで3カ月に渡る講習に入った。受講者の平均年齢は35歳で、比較的若い方だったが、それでも毎日の実習と講義への精神と肉体の集中はなかなか大変なものだった。アジア用のコースだから、テキストも講義も英語を使用。戦術、技術から運営や組織についてにまで及んだから、講義の後、自由時間での復習が必要だった。

 スクールの責任者であるクラマーのもとで、長沼健、岡野俊一郎(現・日本協会副会長)や平木隆三(前グランパス監督)ら指導陣も手伝い、加藤寛(現・神戸FCコーチ、当時、学生)も働いた。心理学、教育学、生理学、解剖学と救急法、マッサージについては専門の大学教授、ドクターが講師となり、サッカー以外の種目にも日本の各協会がコーチを派遣した。クラマーは期間中に過労から倒れたこともあったが見事にやり遂げた。

 FIFAコーチング・スクールは、この後もアジア各地で回を重ね、日本にそれまでなかったコーチとしての必要な勉強を教え、この受講者たちを軸にコーチ認定制度を作り上げて指導者を生み出した。このコーチ制度は、高校生や少年たちを教えるコーチたちに自信のよりどころを与え、指導を積極的に行なう背景を生み出した。まことにすばらしいことだ。

 第一回の受講生のなかには加茂周(フリューゲルス監督)、上田亮三(大阪商大総監督)や清水泰生(レッズ代表)、西垣成美(グランパス代表)の名がある。上田総監督のもとで育った大商大の選手がJリーグで活躍し、また小嶺監督(国見高)をはじめ多くの指導者が高校やクラブで実績を挙げているのを見るとき、改めて世界で初めてのコーチング・スクールを開催した当時のスタッフの努力に頭の下がる思いがする。


(ジェイレブ JUN.1994)

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