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1974年西ドイツW杯「決勝戦を深夜生中継」

 1974年のW杯本大会出場は16チームで、4チームずつの4組による1次リーグと、その上位2チームずつ合計8チームをまた2組に分けての2次リーグ、その各組2位同士の3位決定、1位同士の決勝という仕組みになっていた。

 第1組では開催国の西ドイツが、東ドイツ、チリ、豪州と組み、第2組は前回チャンピオンのブラジルとユーゴスラビア、スコットランド、ザイールの組み合わせ。第3組はオランダ、スウェーデン、ウルグアイ、ブルガリアで、第4組はイタリア、ポーランド、アルゼンチン、ハイチとなっていた。

 その1次リーグで、チャンピオンのブラジルは、ユーゴと0-0、スコットランドと1-1、ハイチに3-0で勝って、1勝2分でユーゴとともに2次リーグに進み、72年欧州チャンピオン西ドイツは、東ドイツに敗れて2勝1敗の2位で2次リーグへ。両国のもたつきに比べると、オランダの戦いぶりはまったく快調で、ウルグアイ(2-0)、ブルガリア(4-1)を破り、スウェーデンと引き分けて(0-0)、2次リーグに残った。

 オランダとともに注目されたのは第4組のポーランド。この72年ミュンヘン五輪のチャンピオンは、南米のサッカー王国アルゼンチンを3-2、70年W杯2位のイタリアを2-1で倒し、ハイチには7-0で大勝した。イタリアはアルゼンチンと引き分け、得失点差で2次リーグには進めず、マッツォーラ、リベラ、ファケッティらのスター群の最後のW杯は1次リーグ止まりとなった。

 クライフとオランダは2次リーグでもますます調子を上げて、アルゼンチンに大勝(4-0)、東ドイツに2-0、ブラジルにも2-0で完勝した。対ブラジルの2得点は、エリア内に疾走するニースケンスが、クライフからのパスをスライディングシュートで決めたのと、左サイドを攻め上がったFB(フルバック=現在のDF)のクロルからのクロスをクライフがジャンプボレーで蹴り込んだもの。このチームの速さと、FBのオーバーラップのスケールの大きさ、疾走の長さを見せつけたゴールだった。

 一方、西ドイツは2次リーグに入って調子を上げ、ユーゴスラビアに2-0、スウェーデンには4-2で勝ち、ポーランドには苦しめられながら1-0で破った。ベッケンバウアーのリーダーぶりも見事だったが、ゲルト・ミュラーの得点力が復調したのが大きかった。

 決勝では、それぞれPKで点を決めて1-1となったあと、ミュラーが十八番の反転シュートで決勝ゴールを奪った。この得点も、味方エリアで防いだボンホフが相手ゴールライン近くまで入り込んで、ゴール前のミュラーへクロスを送ったものだった。

 この決勝の完全生中継は、日本時間7月7日午後11時50分から始まり、試合終了後の表彰、ビクトリーランをも映し出した。ドイツ放送局(ZDF)の協力もあって、初の衛星中継はまったくノートラブルで、画像もきれいだった。この放送を見るために赤坂のレストランに集まったドイツ人たちは、優勝が決まると朝までドンチャン騒ぎをしたという。

 日本にも、世界と喜びをともにする日が初めてやってきた。

 78年大会からNHKが放映権を取り、次第に試合の数も多くなるのだが、それもサッカーのテレビ不毛時代に先駆をつけたテレビ東京の"勇気"に刺激されたものといえる。


(ジェイレブ OCT.1994)

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