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1990年代はアフリカの時代

 技術が上がり、名声は高まっても、日本と比べてGNP一人あたりが1000分の8(1983年の統計)のカメルーンでは、サッカー収入が欧州並みとはいかない。選手のなかには生業を別に持つものも多いらしい。

 国内のトップリーグは16チームで、下部組織もしっかりできているが、いいプレーヤーは経済力の強いヨーロッパへ移り、そこでの経験がまたカメルーンの向上に役立つことになる。

 1964年の東京オリンピックで、日本代表はガーナと1次リーグで戦った(2―3)。1968年メキシコ・オリンピックでは、やはり1次リーグでナイジェリアと試合(3―1)した。

 私はこれらの試合を通して、トレーニングによってさらに伸びる彼らの豊かな素材を見た。そしてまた、1966年イングランドでのワールドカップで、私たちは東アフリカ出身の“モザンビークの黒ヒョウ”エウゼビオ(ポルトガル)の素晴らしいシュートと突破に酔った。

 1986年のメキシコ・ワールドカップでは、フランスのプラティニ、ジレスなどとともに華麗な中盤を構成した、マリ共和国出身のジャン・ティガナのクールな攻撃支援と守りのうまさに堪能した。

 エウゼビオのおさえのきいた低い弾道のシュートは、彼のヒザと足首の強さからきており、立ち足をボールの前方へ置くスタイルは、マネのできない独自のものだった。

 小柄でスリムなティガナは、力強さという感じはないが、いつもクールで、ここという相手DFの一番イヤな所を見つけて、するすると入っていくドルブルは逸品だったし、1対1でのボールの奪い合いでは、相手の動きをほとんど予知していた。

 今度のカメルーンの快挙によって大きな刺激を受けたアフリカ全土から、第2、3のミラやヌコノやティガナ、エウゼビオが生まれてくる―――。90年代はカメルーンとアフリカから目を離すことのできない10年になるだろう。

(サッカーダイジェスト1991年6月号より)

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