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世界の舞台では…

 早々とクラブが生まれ、リーグも結成し、近隣諸国とも試合をするようになったが、初めて世界の場へこの国のサッカーが顔を出したのは、1928年のアムステルダム・オリンピック。かつての崇主国スペインとの一回戦は1−7の大敗。初めての大遠征は不本意な結果となり、同じく初参加のチリ(予選でポルトガルに負け)と敗者戦を行なって、これも1−3で敗れた。このアムステルダム大会のサッカーは、前回のパリ・オリンピックのチャンピオン、ウルグアイが決勝に残る。対戦相手はこれも初参加のアルゼンチン。アメリカ、ベルギー、エジプトをそれぞれ11−2、6−3、11−3と圧倒しての決勝進出だった。

 南米同士のファイナルは1−1で勝負がつかず、3日後の再戦でウルグアイが連覇した(2−1)。その個人戦術、チームワークはヨーロッパ勢を凌いで、ラテン・サッカーの優越を見せつけたのだった。

 同じラテン・アメリカのメキシコが刺激を受けないハズはない。2年後、1930年ウルグアイでの第1回ワールドカップにメキシコが乗り込むのも、彼らのサッカーへの情熱の表われだが、このときも1次リーグで1勝もできなかった。

 この初参加以来、メキシコはワールドカップに1950年(ブラジル)、54年(スイス)、58年(スウェーデン)と参加を重ねたが、58年の1次リーグでウェールズと引分けた他はすべて敗戦。62年(チリ)にようやく1次リーグでチェコに勝つことができた。

 このときのチェコはブラジルと引分け、スペインに勝っていて準々決勝進出が決まっていたから、勝敗に執着しなかったともいえるが、メキシコにとっては記念すべきワールドカップ初の1勝だった。

 オリンピック初参加からワールドカップでの1勝まで32年間、サッカーがナンバー1・スポーツのメキシコにしては、レベルアップの歩みは決して早くなかった。しかし、国土のほとんどが熱帯地方で、中央高地の気温はともかく、高度2000メートルという条件があり、低地には暑さがついてまわる環境が大きく影響していた。暑い地域でのサッカーは、スローテンポになるのが当然。酸素の薄い高地で激しい動きを嫌うのは、人情といえるかもしれない。

 1968年のメキシコ・オリンピックを機に、高地でのスポーツを研究し、高地の試合に力を発揮するための配慮や練習が工夫されるとともに、効果的なトレーニングも注目されるようになった。


(サッカーダイジェスト1991年11月「蹴球その国・人・歩」)

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