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活躍するカメラマン

 美しきバリローチェ

 「イースター(復活祭)の休みで、4月10日から1週間の予定で、ブエノスアイレス南西
1700キロのバリローチェヘきました。ここの風景のすばらしさは、ちょっと想像できないでしょう。このつぎアルゼンチンへ来られるときには、ぜひ、見てほしい土地です。昨年秋は、写真をたくさん送っていただいてありがとう。お礼の手紙を送りましたが、届いたでしょうか。お返事がないので届いたかどうか心配しています。とてもよく写っているので家族や、友人に見せてはムンディアール(ワールドカップのこと)を思い出しています。ハッピー・イースター」

 美しいナウエル・ウピア湖とバリローチェのこじんまりした町の全景をうつした絵ハガキの消印は4月11日となっていた。そういえば78ワールドカップからもう10ヶ月たった。私のワールドカップの旅も、ぼつぼつ終盤にさしかかる。

 78年6月23日、私は朝から忙しかった。大会終了まであと2日、ブエノスアイレスを出発するまで正味3日しかなかった。土産品を買う。先送りで税関に止まっている合オーバーを受け取りにゆく、記録の整理をする。プラネタリウムへワールドカップ切手展を見にゆく、サンマルチン通り871で開催中のインディオの民芸品展卸売をのぞきにゆく。民芸展はフロリダ街からサンタフェ通りへ抜けるビル内の古物商できいたのだ。すばらしいインカのツボがあったので値をきいたところ。600ドルでは手が出ない。そのとき、店のマダムが、新しいものだが、デザインは同系統で面白いですヨと展示会を教えてくれた。平原インディオの原始的なツボでデザインもボリビアやペルーのインカの古いものより、単純なのが、かえってよかった。切手展は歴史的な資料で目の楽しみでもあったが、写真を撮ってはいけないという。しかも例によってパンフレットもないのに不満が残った。


 国際カメラマン・富越正秀

 その合い間にプレスセンターへ顔を出すと富越正秀(とみこし・まさひで)カメラマンがいた。国際的に名の売れている彼は、それだけに日本からのカメラマンのまとめ役のような雑用も引き受けるハメになり、3位決定や決勝の席割りをすませて、いささかげんなりしていた。

 富越君と初めて会ったのは74年の西ドイツ大会、フランクフルトのインターコンチネンタル・ホテルのロビーだった。そのとき彼は26歳、すでに3度目のヨーロッパの夏だった。北海道・札幌西高校の出身で東京の中央大学理工学部へはいったが、学園紛争で2年のころから学校へゆけなくなり、好きなカメラをいじっているうちにサッカーを写すようになり、サッカー・マガジンに持っていく。71年3月に、ヨーロッパ・カップなどを撮ってみないかと編集者にいわれ、ロンドンへ飛び、そこをベースにしてイタリアや西ドイツを回った。英国ではジョージ・ベスト、イタリアではマッツォーラやリーバ、西ドイツのベッケンバウアーを写して回る。

 73年には3月から10月まで、やはりロンドンに本拠をおいてヨーロッパ。カメラでのぞく本場のサッカーを、1度味わったらやめられない。74年は無論ワールドカップと、そのあと3ヶ月間、75年も3月から半年余り、そして77年には南米をカバーした。

 見知らぬ土地でアパートを借り、試合の日程を調べて、協会やクラブへ取材を申し込むというのは、一見簡単なように見えて、そうなんでもスイスイとはゆかない。レンズなどの部品の盗難もあれば、ウェンブリーのように、おいそれと入場許可をくれないところもある。しかしキャリアを積むごとに顔も広くなる。ヨーロッパ人の試合をゴールうしろで撮る日本人の名前と顔は、次第に選手たちの間に浸透していった。そう、リバープレートで、バスの中から呼びかけた彼に手を振ってこたえていたのはギュンター・ネッツァーだったか。

 国際的といえば、サッカーのフリーのカメラマンは世界を股に飛び歩く。開幕日の直前にブエノスアイレスに到着したM・カメラマンは、全然ホテルの予約なしで来たために、とりあえず1泊70ドルの高いホテルにはいったが、翌日から、そのホテルのウェイターの家に1ヶ月300ドルで下宿する。ウェイターは、ビリヤードの元アルゼンチン・チャンピオンとか。M君はブエノスへ来る前はヨーロッパにいて、陸上競技やラグビーを取材し、雑誌“Aグラフ”との契約で大西洋をこえてきたという。

 サッカーの専門雑誌が生まれてから、すでに15年になろうとしているが、その最大の功績は、写真の進歩だろう。新聞紙上では、もっぱらゴール後ろからの図がらだったのが、雑誌によって、さまざまなアングルが紹介され、大きな楽しみを与えてくれた。
「やっぱり、プロだな」。

プレスセンター・ロビーでの立ち話で、ちょっとした選手のクセや体つきの違いを的確に指摘するカメラマン――北川外志廣君や松本正君の話しを聞きながら思う。

彼らによってワールドカップの新しい魅力を多くの人に見せることができるのだろうか。一見つむじ風のようなアルゼンチンの攻撃の基礎となる技術や、オランダの力づくのように見える展開に隠された正確な技量を、写真は解き明かしてくれるのだろうか。

 ヨーロッパ対南米の理想的な形となった3位決定戦と決勝の楽しみは、ますますふくれていった。                                    

(サッカーマガジン 79年6月10日号)

     

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