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デザインの町ミラノとダビンチと白黒ボール

 トスティの歌曲「理想の人」

 ラジオのスイッチをひねると、「理想の人」の歌声が流れてきた。わたしの好きなトスティの歌曲のひとつで、家にはNHKテレビからとったルチアーノ・パバロッティの独唱のビデオもある。78歳の老母も彼とこの歌のファンでもある。

 前日、6月12日夜のイタリア対スペイン(0-0)のあと、日本への電話送稿でほとんど眠っていないのと、開幕以来の試合が、どれも、もうひとつ不満なのがかさなって、いささか“げんなり”していたわたしだが、本場できく好きなメロディーは、そんな沈滞気分をリフレッシュしてくれる。

 前夜の試合は、イタリア人も不満が大きかったろう。13日付の新聞には、「われらナツィオナーレ(代表)の初試合は0-0」「トラベルサ(ゴールの横木)がゾフを救った(注=ファニートのシュートがバーを叩いた)」「カウジオには失望」などの見出しが並んでいた。


 スフォルツァ城とサッカー展

 そんな新聞のなかでピンクの紙に印刷した『ラ・ガセッタ・デロ・スポルト』の詳細な報道に感心する。イタリア語はダメなボクにはプレスセンターの通訳のシニョリーナの応援がありがたい。学生が多く、昨年まで英国へ留学していたのヨという美人もいる。

 シニョリーナたちに、「半日しかない残り時間で、どこを見るのがよいか」と聞くと「まずドゥオーモ(大聖堂)、そしてダビンチの“最後の晩餐”の壁画のあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、スフォルツァ城などをあげ、せめてもう一日あれば」・・・と芸術に満ちたミラノ滞在の短いのを残念がってくれる。

 15世紀に造られた方形のスフォルツァ城は市の中央部にある、厚さ3.6メートルの城壁は周囲1キロをこえ、最上階は屋根つきの歩廊、サッカーグラウンドがほとんど2面とれる広い内庭、館、望楼などが昔のままの姿で完全に残っている。建物の一部が博物館になっていて、美術品や衣裳、陶磁器、武具などが陳列してある。そのぼう大なコレクションを見て歩くと、歴史の重み、中世からのこの都市の豊かさに、いまさら目を見張る。

 レオナルド・ダ・ビンチ(1452-1519年)が、この城ができたころ、ミラノとスフォルツァ家で自分の才能を発揮したいと考え、フィレンツェから移った(1482年)というが、大天才をひきつけた当時のミラノの活況をこの城から想像することができた。

 館(やかた)の左端(正面門からみて)の一室で、なんと、ヨーロッパ選手権決勝大会を記念してサッカーの歴史展を開いている。

 入口にポスターが貼ってある。リーグの各チームのマークを配列したものらしい。2種類あって、ひとつは、フォッジア、インター、ボローニャ、カリャーリ、ローマ、フィオレンチーナ、トリノ、ベローナ、ユーベントス、サンプドリア、ナポリ、カタニーア、バレーゼ、ラチオ、ミラノ、ビチェンツァと16クラブ名が見える。

 内部には15世紀のボールゲームのスケッチや、ミラノACやミラノ・インターの古いプログラムやプレーヤーの写真などが配置されている。撮影はダメという。記者証を見せ、プログラムはないかときき、撮影の許可を頼んだけれども一向に通じない。閉館間際で、スケッチをする時間もなく、サーっと見ただけで、退出するハメになった。


 ダビンチの32面体白黒ボール

 ドゥオーモ(大聖堂)の壮大さはいうべき言葉もないが、その広場の左側のビットリオ・エマニエル二世アーケードの壮麗は新たな驚きだ。ガラス張りの天井と大理石の歩道、そして商店のウインドーの飾りつけのあざやかさ。なかにイタリアン・シルクのネクタイ、エジプト綿のポロシャツ、ピノキオをかたどった銀製の大会記念品・・・とくれば、つい手を出すことになる。

 フェデリのポロシャツを買いにはいった店でロンドン風の英語をしゃべる番頭さんとサッカー談議。彼は前夜のイタリア・チームを嘆き、1970年、メキシコW杯での準決勝(イタリア4-3西ドイツ)がいちばんいいと強調した。

 こうした店のたいていのウインドーに、サッカーの白黒ボールと大会のポスターがデコレーションとして置いてあるので、周囲の貴金属や時計や、服地などとみごとに調和している。

 その不思議さを考えながら歩いているうちに、むかし田辺五兵衛さん(故人・日本協会副会長を務めた球界の先輩)にきいたダビンチの32面体の話を思い出した。「いまの白黒ボールは20枚の正六角形と12枚の正五角形を縫い合わせてある。正五角形の一辺と正六角形の一辺は相等しく、球の半切面円周の15分の1になる。ふつうは、その正五角形を黒くしている。この32枚縫いのボールのデザインは、15世紀にダビンチが描いたルカ・バッチオリの数学書のさし絵の32面体からとったものではないか」──

 ミラノとダビンチと白黒ボールの関連を考えながら、わたしは去り難い思いをつのらせ、きっとまた訪れようと心に決めるのだった。

<サッカーマガジン 80年10月25日号>

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