賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >日本の16強敗退に思う

日本の16強敗退に思う

功績と敗戦の反省

 トルコに敗れてベスト8に進めず日本代表のワールドカップは6月18日で終わった。
 2002年のワールドカップが5月31日に始まったときには、まだ関心の薄い人たちの割合も多かったが、日本代表がベルギーと2―2で引き分け、ロシアを1―0で破り、チュニジアを2―0で下して第2ラウンドに進んだことで、日本中にワールドカップ・フィーバーを巻き起こした。サッカーの面白さを、さらに多くの人に知らせてくれた代表チームの働きに心から感謝したい。
 日本の多くのファンも、夢を与えてくれた選手一人ひとりに、ありがとうという気持ちでいるだろう。
 ただし、選手たちはもちろん、日本サッカーの強化にかかわる人たちにとって、なぜベスト8を目の前にして敗れたかについての反省がなくてはなるまい。
 トルコから1ゴールを奪われたこと、そのトルコから1ゴールも奪えなかったことは、1次リーグ(第1ラウンド)を2勝1分けで見事に切り抜けた功績とは別に、専門家たちの間で十分に議論し、何が足りなかったかをよく考えてほしい。
 トルコ選手との体格差が予想以上だったと言う声もある。
 開催国の期待という大きなプレッシャーのなかでの第2ラウンド進出を成し遂げ、いわば責任を果たした一種の安心感が、マイナスに作用したというものかもしれない。

フランスは「退屈」

 フランスにいる友人からの便りでは、フランスのラジオ放送では「日本チームはこれまでのような活気、チームワーク、パス…などがなく退屈な試合だ」と言ったという。退屈とは失礼な話だが、第三者から見れば、そうであったかもしれない。
 私たちが見ても、パスを回し、クロスを上げる、という普通の手法であって、相手の意表を突く、飛び出しや、飛び込み、あるいは相手ディフェンスと重なって、そこでつぶれるといった、厚い守りを崩す鋭さに欠けていたことは確かだった。
 トルコという国は古くからロシアと対立関係にあり、「敵の敵は味方」という論理から親ドイツだった。第2次世界大戦が終わった後、西ドイツへ大量の移住者が出かけ、労働力を提供したことは知られているが、サッカーもまたドイツの流れを汲み、元代表監督のユップ・デュアバルも、ここの名門・ガラタサライを指導し、欧州の強チームへの足場を築いた。
 いまではトルコの優秀プレーヤーは欧州のトップリーグでプレーし、ガラタサライやフェネルバチェという強チームは欧州のチャンピオンズ・リーグやUEFAカップでも注目されるようになっている。こういう背景をみると、日本選手のレベルアップには「ヨーロッパでプレーする」ことが必須条件という声が高まるのも当然と思えてくる。
 それも一つの手段ではあるだろう。しかし欧州のビッグ5リーグへ出かけていくことがすべてかどうかは、Jリーグにいる韓国代表の働きをみれば、Jで上手で強いプレーヤー、ワールドカップでも働いていることが分かる。
 サッカーがビジネスである欧州のプロのなかに入っていくには、送り出す日本のクラブとエージェントによる十分な見極めが大切だ。

キックの能力アップを

 当面の日本のプレーヤーにとっての課題は地味ながら、ボールを蹴る、止める、ドリブルするといった基礎技術のアップだと思う。今度の大会でも、体格や体力からくる体の強さ≠ヘ、日本が劣るのは(走ること、その速さや持続は別にして)明らかで、その差を少しでも詰めることも大切だが、その差がありながら、テクニックが相手と同じでは勝てるわけはない。
 ボールを正確に強く狙ったところへ届かせるのは、それほど体力に関係なく、いい指導者のアドバイスと、いい練習の繰り返し(反復練習)で身に付くのだ。これはヘディングでも同じことで、このことは、すべての指導者やプレーヤーが知っているはずだ。
 幸いなことに、いまの日本は、若者がサッカーに打ち込む環境としては世界でも上の方だ。伸び盛りの時期に、しっかり練習すれば、Jリーグも、日本代表も技術アップできると思う。
 そのキックについても、小柄なロベルト・カルロスの驚くほどの強いロングシュートを見ることもできたし、ロナウジーニョがドリブルの最中に右足のアウトサイドで、さりげなく流すように決定的なパスを出すのを、目の前で見ることができた。
 習得すべきキックの技術の見本はたくさんあった。技術指導にかかわる人たちとプレーヤーのさらなる努力を期待したい。 

(週刊サッカーマガジン2002年7月6日号)

↑ このページの先頭に戻る