賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >ゲルト・ミュラーとロナウド。独特の型を持ち、リバウンドにも強く、両足で蹴れるのが共通点

ゲルト・ミュラーとロナウド。独特の型を持ち、リバウンドにも強く、両足で蹴れるのが共通点

 先日、三宮のジュンク堂書店で本を買ったら「サッカーマガジンの連載はボツボツ終わりですね。次はどんな企画ですか」と店員に尋ねられた。次の内容については、担当編集者と相談の上決めるが、2002年ワールドカップについては前々回(前回は番外縮)で終わりにして、しばらくの間は、その余韻というところで、私の8回のワールドカップの取材メモを、2004年のいまの時点で読み返し、抜き書きしてみたい――と考えた。


全能のボンバー(爆撃機)

 74年ワールドカップ(W杯)西ドイツ大会で“爆撃機”と呼ばれたゲルト・ミュラーを見れたのは幸いだった。大会の決勝、ヨハン・クライフのオランダとフランツ・ベッケンバウアーの西ドイツの対戦(2−1で西ドイツの勝利)はワールドカップの歴史でも特筆すべきものだが、西ドイツに優勝をもたらす2点目を決めたのがミュラーだった。大会直後に彼は代表から引退を発表してしまう。1945年11月3日生まれだから、このときまだ28歳。西ドイツ代表62試合で68得点のハイペースが、ここで止まってしまったのは、いまから思えば残念だが…。
 70年W杯メキシコ大会(西ドイツ3位)で得点王(10得点)を獲得、EURO72(優勝)でも重要な試合では得点を決めていた。74年大会は前半の1次リーグは調子が上がらず、西ドイツ代表もまたパッとしなかったが、2次リーグに入るとチーム全体に活力がみなぎり、ミュラーもユーゴスラビア戦、ポーランド戦で得点を重ね、オランダ戦でも決勝点をもぎ取った。この得点は、相手の攻撃を防いだ後のボールの動かし方と、ボンノフの長走を生かした組み立ても素晴らしかった。が、その右からのボールを体の後ろめに置いたミュラーが、素早く反転して後ろに戻り体を捻るように打った右足シュートは、ミュラーの特技。タイミングも、コースも彼だからこそというものだった。
 相手のマークが厳しくなるはずのペナルティー・エリア内でのシュートと、そこへの入り方に独自のバリエーションを持っていた彼を、守備の整備が進んだはずの“現在”でプレーさせたいと思うのは私一人ではあるまい。そのミュラーがある雄誌のインタビューで、現在の世界一のストライカーを「ロナウド」と答えた。特徴にスピードを挙げている。おそらく自分と同じように左右で蹴れること、リバウンドなどへの反応が早いことなど、自分と同じ資質を感じたのだろう。この英国の雑誌『WORLD SOCCER』誌NOVEMBERの記事は、見た目に違うタイプの二人の偉大なストライカーを、30年の時間を忘れて比べる楽しみに引きずり込んでくれた。

(週刊サッカーマガジン2004年11月23日号)

↑ このページの先頭に戻る