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カメルーン・サッカー小史

1900年
第1次世界大戦(1914〜1918年)の前、まだカメルーンがドイツの植民地となっていた頃、ドイツ人によって導入され、ブエアで初めて行なわれたという。
1920年
第1次世界大戦後、カメルーンは英国とフランスの委任統治地となり、フランスはフランス領赤道アフリカ・サッカー連盟を組織し、フランス本国のサッカー組織に組み込んだ(フランス流のこのやり方は、カメルーンそのものが赤道アフリカに属していないため、サッカーだけが入るという奇妙なものだった)。
1948年
第2次世界大戦後、アフリカ各地で独立の機運が高まる。カメルーンに人民同盟が創設され、各種グループが独立を目指して政治活動を続ける。
1957年
エジプトの提唱によってアフリカ・サッカー連合が創設される(エジプト、スーダン、エチオピアが第1回アフリカ選手権を開催)。1960年代初頭にはアフリカ・サッカー連合の加盟国が24ヶ国に増加。
1959年
カメルーンサッカー協会創立。
1960年
カメルーン共和国の独立が達成される。サッカーの国内選手権も開始(60−61年度)。
1964年
第1回アフリカ・チャンピオンズカップにオリックス・ドウアラが優勝。カメルーンのサッカー熱を高めた。
1971年
このアフリカ・チャンピオンのタイトルから7年後にカノン・ヤウンデが同国のチームとして二度目の王座獲得。
1972年
カメルーンでアフリカ選手権(ネーションズカップ)を開催。首都ヤウンデと経済都市ドウアラでそれぞれ4ヶ国リーグを行ない、カメルーンはヤウンデ・グループのトップで準決勝に進出。コンゴに敗れて決勝進出はならなかったが、3位決定戦でザイールを破った(決勝はコンゴ3−2マリ)。
1975年
新たに創設された第1回アフリカ・カップ・ウィナーズ・カップでトネーレ・ヤウンデが優勝。カメルーンはアフリカのサッカー強国として認められるようになる。
1978年
76〜77年の国内チャンピオンのカノン・ヤウンデがアフリカ・チャンピオンズカップにて優勝。
1980年
アフリカのクラブ・タイトルを持つカノン・ヤウンデがチャンピオンズカップを制し、カメルーン勢が3年連続制覇を成し遂げた。
1981年
カップ・ウィナーズ・カップでウニオン・ドウアラが優勝。
1982年
スペインでのワールドカップにカメルーン代表がアフリカ代表として出場。1次リーグ1組でポーランド(0−0)ペルー(0−0)イタリア(1−1)と3引き分け、無敗で3位となり2次ラウンドへは進めなかった。
GKヌコノの堅い守りとイレブンのテクニックは高く評価された。
1984年
ロサンゼルス・オリンピックにカメルーン代表チームが出場。1次リーグで敗退。
アフリカ選手権で初優勝。カメルーン代表チームはアフリカで「無敗のライオン」と称賛される。
1988年
アフリカ選手権で二度目の優勝。
1990年
ワールドカップ・イタリア大会において、準々決勝に進出。アフリカ勢初のベスト8となり、その見事なプレーぶりでアフリカのレベルの高さを世界に示した。
※FIFA(国際サッカー連盟)は次の大会から、アフリカ代表を現行の2から3に増やすことを決定している