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ミュンヘン→ライト・イン・ビンクル:「ジーコは間違っていない」クラマーは説く

ドイツ・アルプスの岩山をバックに

 いつの大会でもそうだが、ベスト8が出揃ったと思ったら、すぐ準々決勝となり、ベスト4が決まり、準決勝となる。その間に、バタバタと倒れた強豪たちが引き上げてしまう。
 世界各地から開催地ドイツを眺めると32チームから4チームになって、いよいよ決勝に近づく――いわば焦点が絞られてゆく面白さがあるが、開催地にいて、現場を飛び歩いていると、あっという間に4チームになってしまったという感じ。IBSスカイパーフェクトのスタジオを訪れるとメッセ(展示場)の巨大な施設の中に設けられた各国放送局の中には、すでに引き上げてしまったところもあり、忙しげに歩いていた各国スタッフの数も激減、閑散とした建物の中には寂寥感(せきりょうかん)が漂っていた。
 デットマール・クラマーを訪ねたのは、そんな終盤の7月6日だった。
 ライト・イン・ビンクルという人口2600人ばかりの小さな町に、彼はいた。
 ドイツ・アルプスを背景に、オーストリアとの国境のすぐ近くの町へは、ドイツ在住18年の山道さんの車でミュンヘンから約2時間の行程だった。
 ミュンヘンからかつての冬季オリンピックの会場のインスブルック(オーストリア)に向かってアウトバーンの途中で降りて、いったん国境を越えて、ケッセルという町を通り、そこから再びドイツ側に入ったのだが、国境沿いの岩山と美しい家の景観は、山好きの私にとってまたとないドライブだった。
 今回の訪問は、まず第一に彼の今の元気な日常の基盤となっている本拠地を見せてもらいたかったことだが、もちろん、会えばサッカーの話を聞かせてもらうことになるのは当然――。
 今回は日本の試合も見ている彼の感想を聞いてみたいこともあった。


大会分析は慎重に

 大会全般については、いまFIFAのリポートを作成中だから――こういう大会ではテレビや新聞などでの速報的な解説などがあって、それが必ずしも的を射ていないものも多い。
「私は長年、現場で指導してきた者として、そういう誤った性急なコメントは出したくない。充分に時間をかけてからにしたい」と慎重だった。
 彼から見れば、ずいぶん気に入らないコメンテイターの批評や解説があり、会うたびにその例を挙げていたが、今回もそれが多いと、いささかお冠(かんむり)だった。


レギュラーでない海外組

 日本チームの敗退については、選手の自主性を重んじるジーコの方針を前から“当然のこと”と指示していたが、今度もその姿勢は変わっていない。
 今回の代表チームの問題点について、第一にチームの23人の中で6人が外国でプレーしていること、そして、そのほとんどが、そのクラブでレギュラーとして、いつも試合に出ているわけではないこと、ために、その選手のコンディションをつかむのが非常に難しいこと――を挙げた。
 どんなに優秀な選手を集めてもチームにならなければならない。そのために、コンディションがバラバラでは困る。海外でプレーすることはいいのだが、それも、試合に出てのこと。レギュラーになれないチームに選手を送り込むエージェントに問題がある。
 これをどう考えるかは日本サッカーの課題のひとつ――と。
 前からの「シュート力云々(うんぬん)については、ストライカーの育成が第一。素質が90パーセント以上と言われるストライカーについては日本各地から、そういう素材を見出し、その力を伸ばすようにすることだ」と言った。
 彼の指導のもとで国際的ストライカーとなり、メキシコ・オリンピックの得点王で、銅メダルに貢献した釜本邦茂(JFA副会長)について、その大器を見出し、自分に引き合わせた岩谷俊夫(第2回日本サッカー殿堂入り)や藤田静夫(元・JFA会長)などに触れた。
 これだけ全国にサッカーが普及しているのだから、いい素材はいるはずだ。それを見出し、いい選手にすること――釜本自身もそのために力を尽くすべきだろうとも――。
 クラマーさんにぜひ会いたいと、一緒に訪れた若い記者も、関西で高校の指導をしているYさんも、彼の力強く理路整然とした話しぶりにすっかり引き込まれていた。
 2時間の予定が4時間になってしまった。
 アマチュア時代とは格段にスケールが大きくなり、レベルが上がったはずの日本だが、プロとなったいま、そのための問題を抱えている。選手も、エージェントも、Jのコーチも、若い年齢層のコーチも、みんな本物のプロになる以外は、ここでは勝てないだろう――。若いころからコーチの天才であった、本当のプロフェッショナル・コーチの前で、あらためて思った。そういえばジーコは、最後の記者会見で、選手一人ひとりのプロ意識が大切なことを強調していた。


(週刊サッカーマガジン 2006年7月25日号)

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