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ベルリン→神戸:自らの目で見て、足で確かめた06年大会。その日々と向き合い、旅を語る至福の日の始まり

調子を崩してのお土産品ショッピング

 旅のフィナーレ、帰国の直前になって調子を崩した。
 第一は、歯が痛くなったこと。上の歯は11本を入れ歯にしているのだが、その入れ歯を支える前の2本の“差し歯”が抜けてしまった。
 決勝の日の翌日(歯が抜けてから2日目)に外出から帰って、ベッドの上で「うたた寝」をしたとき、窓が開いているのを知らず夜半まで眠ってしまった。弱いノドがやられ、咳が出て、風邪の症状が始まった。
 手持ちのパブロンSゴールドを飲み、ナントか回復を願ったが、一向に良くはならず、7月11日、旅の終わりの大切な日(荷作りや買い物)に、熱っぽい体で新聞・雑誌をまとめてドイッチェ・ポスト(郵便局)へ運び、DHL便で搬送してもらうことや、トランクの詰め直しなどをする羽目になった。
 微熱のある体でのスーベニア・ショッピングは楽しさよりも“苦”に近い。大会終了後に大幅な値引きもあったが、今度は公式マーク使用権の問題からか、売っている店が少ないこともあって、割引も少ない。
 一番欲しかった各都市ごとのポスターは荷物の関係もあって見送り、ビルト紙発行のワールドカップの歴史的な写真集「1930−54」「58」「62」「66」「70」「74」「78」「82」「86」「90」「94」「98」「2002」は、これまた重量を考えて手控える。
 写真集といえば、沢辺克史(さわべ・かつひと)さんがドイツで出した「365」、1年365日のフォトで綴った秀作を書店で見かけたのは嬉しかったが、これも別注にしなければ…。


帰国の機内、マラドーナを書いた86年

 12日、ベルリン発10時50分発のLH181便は、出発が30分以上遅れて、フランクフルト空港でのLH740便(13時45分発)へのトランジットの時間が極めて短くなった。
 お土産品の最後の狙いであったワールドカップのマーク入り酒類を買っている時間はなかった。94年はロスの空港でワールドトロフィーの形の瓶入りナポレオンを求め、98年はジダンやフランス代表のラベルのワインがあったのに――。焦りのうちにボーディングタイムは過ぎ去った。
 無理をしてビジネスクラスにしているために、乗ってしまえば、ちょっとした大名旅行。気ままにものを考え、メモを整理する、ワールドカップの旅の中で、最も楽しい時間でもある。
 もちろん、雑誌などの締切りに追われたこともある。
 86年のメキシコ大会のときは(ケチってエコノミーだったのが、空席があってロスからはビジネスにしてもらった)原稿の締切りで、太平洋上の8時間は、ただひたすら原稿を書き、隣にいた大住良之氏が文字をチェックしてくれた。マラドーナの5人抜きのシーンも、もちろん入っていた。その仕事ぶりをサッカーツアーの人たちが、写真に撮っていたが…。
 今度の旅は大会中に17試合をナマで見た。サッカーマガジンの連載をはじめ、産経新聞とエルゴラッソ紙にそれぞれ週1本、テレビ出演もあった。この日までに原稿14本と放送が2回――。それもすべて終わっていたから、最後の日には自由を楽しめるはずだったのに――。
 ドイツで“カガワさん”あなたは何を見たのでしょうか――休まらない頭で自分に問いかける。
 面白い大会だったと思う。
 ブラジルが勝つだろうといわれ、私自身もそう願っていたが、そうならなかった。1ヶ月間に7試合の短期決戦。ノックアウト・システムの危うさが十分に表れた。
 ロナウジーニョは、よみがえったフランスの積極防御にしてやられた。
 そのフランスはイタリアの狡猾(こうかつ)さに勝てなかった。
 1点を取るか取らないか、FIFA(国際サッカー連盟)が攻撃側有利のルールへの移行を考えているなかで、上位争いの得点は少なくなっている。
 日本代表に関してはもう一度、プレーの成否をひとつずつ振り返ってみなければならない。クラマーも2、3ヶ月かけてじっくり調べなおしたい――と言っていた。
 私自身も、帰国してからもう一度ワールドカップの旅に取り組む。
 それぞれの会場での驚き、それぞれの試合で感じた楽しさは何だったのか――。その一つひとつも、これまでの8回と同じように振り返り、そこから新しい足場を考えたい。
 帰ってからの仕事を考えると、熱っぽい体にも元気が湧いてきた。


(週刊サッカーマガジン 2006年8月8日号)

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