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カイザースラウテルン→フランクフルト:70年前の先輩の偉業と前日に対戦した豪州戦の苦闘を思う

イエメン戦――巻の二つのヘッド

 イエメン戦のロスタイム、坪井からのパスを巻がいいヘディングでボールを前に落として我那覇が決めた決勝ゴール見て、2004年2月のワールドカップ1次予選、対オマーン(ホーム)の得点を思い出した。
 中東の同じ地域のよく似たチームに対して、動きが鈍った時間での「力攻め」という点は同じだが、それを狙ったとおりに行なうところ、それもジーコのチームよりも1年ばかり早い時期であるところに日本サッカー全体の進歩があると言える。
 ただし、この日本のパワープレーが先のワールドカップで対戦したチームに通じるかどうか……。ドイツをはじめとする欧州の列強、あるいは同じアジアでもオーストラリアに通じるかとなれば、誰もが疑問を感じるに違いない。
 となれば、こういう攻めが必要であっても、サウジアラビア戦、イエメン戦で得点機を逃し、何故ゴールを奪えなかったのかを考えなくてはならない。
 イエメン戦、がら空きのゴールを前に巻がダイビング・ヘッドを外したのはなぜか――。一つひとつ、そのとき、その場のプレーを検証し、選手が自分の技術を高めていかなければ、監督がどれだけ有能であっても、日本が世界の強豪に仲間入りすることはできないだろう。選手とともに各クラブのコーチの力も大切なのは言うまでもない。


“民族の祭典”の記憶

 さて、ワールドカップ2006の旅――。
 カイザースラウテルンでの日本の残念な敗戦の翌日、ベルリンへ飛んで同じFグループのブラジル対クロアチア戦を見るところです。
「32年前もベルリンへはフランクフルトから飛んだんだな」
 2006年6月13日、12時35分発のLH18便に乗ってから思う。
 74年ワールドカップでは6月13日に開幕試合が行なわれた。フランクフルトでブラジル(70年大会の優勝国)とユーゴスラビアが演じた0−0の息詰まる対戦を見た翌日、西ドイツ対チリを取材するためにベルリンへ向かった。
 当時、東ドイツ領内にあったベルリンへは西ドイツのルフトハンザ航空は乗り入れができず、パン・アメリカン航空を利用した。たまたま坂田信久さん(元・東京ヴェルディ社長)と乗り合わせ、テンペルホーフ飛行場に着陸した。今度の旅ではテイーゲル空港だった。そして空港から欧州随一という巨大な鉄道の中央駅へ出て、そこからプレスバスでスタジアムへ。
 1936年ベルリン・オリンピック大会のときに建設されたこのスタジアムはかつての面影を残しつつ大増築された。32年前はジュラルミンの屋根が付けられただけであまり印象は変わらず、今回もかつての石組みを残したままである。
 私たち戦中派にとってベルリン・オリンピックはナチスの苦い思いはあっても、レニ・リーフェンシュタール女史の傑作記録映画「民族の祭典」とともに少年期の忘れられない感動でもあった。
 カール・ディーム博士の発案による聖火リレーが最終局面を迎えてトーチがスタジアムに運ばれ、大観客の声援を受けて聖火台への階段を下りる。その大迫力の映像は今も脳裏に残っている。
 マラソン・ゲートやその階段を、メディアセンターの渡り廊下から眺めたとき涙が湧いてきたものだ。
 日本のサッカーにとってもベルリン大会は、初めての世界の舞台で、強豪スウェーデンを破った(3−2)歴史的な大会だった。
 当時、選手やコーチたちは自分たちが工夫して作り上げた「日本流」に誇りと自信を感じながらも、幼少期からボールに親しんでいる外国選手たちとの技術の差、そして体格の差をいかにして縮めるのか、という課題も持ち帰った。
 私よりも10歳ほど年長の先輩たち、右近徳太郎さん(戦死)のようにチップキックを直接、手ほどきしてくれた人もあり、そして大戦後、長く付き合ってくれた人たちも多く、“ベルリン”は私にとって身近な存在でもあった。
 21時のキックオフまで時間があったのでメモを付け直す。
 12日の夜、カイザースラウテルンからフランクフルトへの帰りの列車は両チームのサポーターでいっぱいだった。ファーストクラスのリザーブ席に座ったものの周囲をオーストラリアの大男に囲まれ、彼らは勝った喜びと興奮で延々と声高にしゃべり、歌い続けた。
 彼らが歌の合間に「いいネ」と叫ぶのもおかしかった。どうやら日本の掛け声が気に入ったらしい。やむことのない歌声に「サポーターもまた体力だな」と思ったものだ。

 それにしても中村俊輔と中田英寿の二人を軸としたチームなのに、その俊輔が肝心なときにコンディションを崩すとは――。
 70年前の先輩たちは、後輩たちの苦闘をどんな気持ちで眺めていたのだろうか――。


(週刊サッカーマガジン 2006年9月26日号)

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