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ベルリン→ニュルンベルク:イングランドの単調さに不満はあっても、ベッカムのキック力に脱帽

終了間際の貴重な2ゴール

「ENGLAND TURN ON LATE SHOW」
 駅で買ったタイムズ紙の見出しにあった。まさに、“遅まきながらの2得点だった”と思う。
 6月16日、朝9時41分にニュルンベルク中央駅発の列車の中で、私は前日のイングランド対トリニダード・トバゴの試合を振り返っていた。
 15日はベルリンから飛んで、ニュルンベルク空港に着き、タクシーでホテルに入り、フランケン・シュタディオンでの試合を見たのだった。
 18時キックオフの試合は、ほとんどの時間をイングランドが攻め、トリニダード・トバゴが防ぐ形。その厚い守りから時折繰り出すカウンターパンチは、決定打とはならなかったが、イングランドのサポーターをヒヤリとさせる場面もあった。
 イングランドの攻めはまず、(1)長身のストライカー、クラウチに合わせてのサイドからのクロス(2)オーウェンのスピードを生かす背後へのパス(3)ランパードやジェラードのミドルシュートなどがある。サイドからは、左は前試合のジョー・コールも積極的に深い位置まで走りあがった。右は主としてベッカムのクロス。ゴールラインまで食い込んだことは少なく、いささかイージーゴーイングではあったが、キックの質の高さには何度も感嘆させられた。
 ただし、相手のDFにもクラウチ以上の長身、ローレンス(201センチ)がいたから、浅い位置からのクロスは必ずヘディングを取れるとは限らない。


クラウチのヘッド、ランパードの強蹴

 クラウチがノーマークでボレーシュートを失敗する惜しい場面があった。これは相手が攻めに出たのを奪って、後方から一気に右のオープンスペースに送り、ベッカムが走ってクロスを入れたもの。長走してボールを止め、止めたボールをほとんどノーステップで蹴って、クラウチにヒザの高さのライナーを届けたときは、思わず声が出た。クラウチは合わせ損なったが、ボールのスピードが予想より遅かったのかもしれない。
 そのクラウチが、あと7分のところでヘディングを決めた。前進したレノン(56分からキャラガーに代わって出場)から後方へ送ってきたボールを、ベッカムがファーポスト側にいたクラウチへ送ったもの。高さもスピードも的確で、クラウチはマークにいたサンチョ(185センチ)よりも6センチ以上、上から叩き込んだ(テレビのリプレーではサンチョの髪をつかんでいたように見えたが…)。
 トリニダード・トバゴは同点にしようと攻める。その攻防でスペースが広がり、イングランドが攻め返す。ジェラードがエリア外でボールを持ったとき、十分な余裕があり、相手一人を外した左足で強シュートを左上隅へ送った。高収入のイングランド代表選手の技術への、私の不信感の解消とまではいかないまでも、胸のすくような一撃だった。


ニュルンベルクとナチス

 それにしても「とうとうニュルンベルクでイングランドの試合を見ることができたのだから」と、私たち戦中派にとっては、この町の名はあのヒトラーとナチスの記憶と重なる。1935年にここで開催された壮大なナチの全党大会と、そのときに採択された「ゲルマン民族の純潔と名誉を守るための法」が、のちに悲しいホロコーストとなるとは、当時小学生であった私には知る由もない。
 ただ、彼らのプロバガンダで作られた記録映画“意志の勝利”で見た、壮大な大会の模様、12万人の青年が隊位を組んでの更新、旗の列と夜の光のページェントは息をのむ迫力があった。
 ヨーロッパの多くの人々にとっても、ドイツ人自身にとっても、ナチス党大会会場は嫌な記憶の場所のはず。市の南東部にあるその広大な地域はいま、レクリエーションの場となり、その一部にフランケン・シュタディオンがある。遊びだけでなく資料館を作り、自らの歴史を研究する場も用意している。いわばナチスの党勢拡大の拠点であったこの地で、ワールドカップのような“平和の戦”が見られるとは――。
 ニュルンベルクに来てみて知ったのは、この町の歴史がナチス党大会や戦争裁判だけでなく、はるかに古い時代から産業が栄え、文化が進んでいたこと。
 市から7キロ北西にある私の宿泊地、フェルトとニュルンベルク間に鉄道が開設されたのが1835年(ドイツで最初)であることといい、このあたり一帯は古くから産業が盛んで栄えたところらしい。その長い歴史がナチスの傷跡と向き合いながら癒してゆくのだろうか――。
 そういえば、近郊にアディダス社の本社があった。そう、250万部を誇るキッカー誌もニュルンベルクでスタートしたのだった。
 ドイツ・サッカーとドイツを知る楽しみが、ここにもあった。


(週刊サッカーマガジン 2006年10月10日号)

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