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フランクフルト:ドイツがベスト4へ。PK戦のレーマンの2セーブとシューターの成功にドイツの伝統を思う

レーマンを称えるドイツ紙

「Deutschland in Halbfinale(ドイツ準決勝へ)
 7月1日付のディー・ヴェルト(DIE WELT)。高級紙だけに1面の扱いは見出しも抑え気味。スペースも大きくはない。トップではなくその下に(日本流に言えば)5段抜きでイエンス・レーマンの写真を置いて、簡単な記事を載せているだけだった。しかし、第3面(3ページ目)には勝利の瞬間、喜びを爆発させたイレブン(正確にはGKレーマンを除く10人)の表情をドカンと配していた。
 準々決勝という大きなヤマ場、それも大会の前半で最も評価を上げていたアルゼンチンを相手に、延長の末のPK戦での勝利だった。
 大会中にこの新聞が組んでいる「WM2006(2006年ワールドカップ)」の8ページ特集にはもちろん、記事量たっぷり。1面にはレーマンが右へ(本人から見て左へ)跳んで、両手を伸ばして、今まさにボールを防ごうとしている写真がある。
 彼の確信に満ちた目と、蹴った後のアルゼンチンのエステバン・カンビアッソの後姿が実に印象的だ。
 もう7月になっていた。大会は前日の6月30日からベスト8の戦いとなり、まずベルリンでドイツ対アルゼンチン、ケルンでイタリア対ウクライナを行ない、7月1日にはゲルゼンキルヘンでイングランド対ポルトガル、ここフランクフルトでブラジル対フランスが組まれていた。
 決勝ラウンド1回戦の後半から私は予定通りフランクフルトに移り、ホテル・トリップを足場にしていた。取材計画では、30日は10時の飛行機でベルリンへ飛び、17時キックオフの試合を取材して、21時35分初でフランクフルトに戻ることになっていたが、入場チケットが取れないとのことで、ベルリン往復は取り止め、テレビ観戦となった。
 ワールドカップでのドイツとアルゼンチンは、58年、66年、86年、90年と4度戦い、ドイツの2勝1分け1敗。私はそのうち、大会のファイナルとなった2試合を生で見ることができたのだが……。


リケルメを代えるの?

 テレビで見た両チームは、初めのうちは、まず点を取らせないぞという姿勢が目立った。49分にアルゼンチンが右CKをロベルト・アジャラがヘディングで決めて先制した。フアン・ロマン・リケルメの右足のキックは、それまでとは違い、ゴール正面へ送られた。ニアへ飛んだエルナン・クレスポにドイツ側がつられた背後へアジャラが飛び込み、カーブして落ちるボールに合わせた。ミロスラフ・クローゼがマークしていたが、アジャラのスタートが速かった。
 勢いづいたアルゼンチンのパスが回り始める。ドイツもひるまない。62分にドイツは、右のベルンと・シュナイダーに代えて、若くて速いダビド・オドンコールを投入する。
「おや」と思ったのは、72分にリケルメが退き、エステバン・カンビアッソが入ったこと。誰もが守備固めと思ったこの交代は、後々まで議論の種になった。一方のドイツはさらにバスティアン・シュバインシュタイガーをティム・ボロフスキに代えた。働き蜂で、しかも決定力のある前者だが、後者の上背を買ったのか。


故障者続出の死闘

 80分にドイツが追いつく。右のオドンコールのクロスから、左に流れたボールを、フィリップ・ラームがミヒャエル・バラックに渡す。アルゼンチン側の対応は遅く、バラックは得意のスタンディングキックで中央へ。そのライナーをボロフスキが長身を生かし、立ったままのヘディングで方向を変える。それを待っていたようにクローゼがマーク役のフアン・パブロ・ソリンの内側に入ってヘディング、ボールはゴール左に飛び込んだ。
 この少し前、クローゼと衝突したアルゼンチンのGKロベルト・アボンダンシエリは71分にレオ・フランコと代わっていた。逆にドイツも、故障していたクローゼがオリバー・ヌビーユと交代したため、延長に入って足を痛めたバラックを交代させるわけにはいかず。それでも延長になれば体力的に有利なはずのドイツは、辛うじて逃げた。期待の的であったアルゼンチンのカルロス・テベスはシュート2本を失敗した。120分の戦いは決着がつかず、PK戦となった。
 先攻はドイツ。まずヌビーユが決め、アルゼンチンは79分からクレスポに代わって入ったフリオ・クルスが成功した。ドイツの2人目はなんと、バラックが現れて成功、大歓声を浴びる。アルゼンチンはアジャラ。浅い角度での右インサイドキックは弱く、レーマンに防がれた。
 3人目、ドイツのルーカス・ポドルスキとアルゼンチンのマキシ・ロドリゲスがしっかり決めて3−2。次のボロフスキは右のインサイドキックできっちり右下へ。ここまでの4人でGKフランコがコースを読んだのは1人だけ。レーマンは3人とも――。そして4人目も。カンビアッソが左足で右へ蹴ったが、レーマンは2セーブで勝利を決めた。4−2。
 82年スペイン大会で導入以降、プレーヤーには残酷で、見る者にはスリルに跳んだこのPK戦に強いドイツの伝統は、この日も生きた。ドイツとPK戦についていずれ書いておきたい、と思った。


(週刊サッカーマガジン 2007年1月16日号)

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