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デュッセルドルフ→ミュンヘン:因縁のジダンのPKでフィーゴとポルトガルは去り、フランスは決勝へ

ミュンヘンの鉄道の旅

 今年の多くの年賀状の中に、ドイツで会ったという方々からのものもあった。東京都のHさんからは、「昨年の7月にミュンヘンへ向かうドイツ鉄道のコンパートメントでご一緒させていただき、うれしく存じました。帰国後、保有していた70年代のサッカーマガジンで先生の著作を読み返しました」とも書き添えられていた。
 産学連携のコンサルタントとして働く、この古くからのファンは、たしか準決勝、決勝を見るとのことだった。だから、私の旅の終楽章、デュッセルドルフからミュンヘンへの道中での出会いだったはず。Hさんとの会話を思い出し、あらためて息の長いサッカー人の多さに感服した。
 7月5日、私は早朝6時52分発のEC/IC、262列車でデュッセルドルフ中央駅を出た。前日、ドルトムントでのセミファイナルで、ドイツがイタリアに敗れるのを見届け、深夜0時13分発でデュッセルドルフのホテルに午前1時に帰った。
 わずかな睡眠時間なのに、早々と目覚めたのは、いい試合を見た後で神経が立っていたのだろう……。
 ミュンヘンの中央駅に近いゲーテン・シュトラーセのホテル「シュバイツ」は、高級ではないが、小さなロビーでお茶とクッキーのサービスがあるのがうれしい。翌日、デットマール・クラマーさんの家を訪れる約束の確認をしてから、例によって中央駅の前からメディア用のシャトルバスで試合会場へ。


フランスの堅い守り

 21時キックオフの準決勝、ポルトガル対フランスは、ある意味では、ここ10年近くヨーロッパのトップにあったルイス・フィーゴとジネディーヌ・ジダンの戦いだった。そして、勝負はそのジダンのPKによる1ゴールと堅固なフランスの守りで、フィーゴのポルトガル代表のワールドカップは終わった。
 準々決勝で、強敵ブラジルを倒したフランス、それもジダンのFKをティエリ・アンリが決めるといういい得点と、不調ではあっても、あのブラジルの攻めを無失点に防いだ自信がウィリー・サニョル、リリアン・チュラン、ウィリアム・ギャラス、エリック・アビダルの4人のDFと、パトリック・ビエラ、クロード・マケレレのディフェンシブハーフの守りを、より堅固にしていた。その前のジダンと右のフランク・リベリー、左のフローラン・マルダの支援を受ける1トップのアンリの調子も高まっていた。


アンリの切り返しとPK

 PKはそのアンリのドリブルから生まれた。マルダからのパスを受け、エリア間を左へ流れて右足のアウトサイドで切り返したとき、リカルド・カルバーリョが倒してしまった。彼の足がアンリの立ち足に引っかかったという感じだった。アンリの速さと、後方へ引いた切り返しの大きさに、ついつられてカルバーリョの足が出たのだろう。本人としては不満だったろうが、致し方ないPKだった。
 キッカーのジダンの目線はゴール左下に向けられたように見えた。意表をつくこともある彼だが、踏み込む前にも左を見たようだから、GKのリカルドは(自分から見て右手側と)読んでいたようだ。しかし、ジダン特有の右足を巻くようにこするサイドキック(横なぐりというべきか)で、鋭いボールをサイドネットに送り込んだ。


EURO2000の因縁

 こういう重圧のかかる中で、当然のようにゴールを決めるジダンに、2000年のEUROの対ポルトガル戦を思い起こした。
 ブリュッセルで私が見た試合は、ヌノ・ゴメスが先制、アンリが同点にした。延長に入ってエリア内でのシルバン・ビルトールのシュートがアベル・ザビエルの手に当たってハンドとなり、PKをジダンが決めた(当時はゴールデンゴールだった)。この判定を不服としてポルトガルの選手たちが試合後に一騒ぎした。私はゴールとともに、レフェリーに詰め寄る選手たちよりも、ジダンがキックする前に、スタスタとピッチを去るフィーゴの姿に彼の悲しみと怒りを見た。
 当時のチームにはマヌエル・ルイ・コスタたちフィーゴ世代がそろっていてとても魅力的だったのだが…。
 またしても――と思っただろうが、今度は時間はたっぷりある。リードされたポルトガルは攻勢に出た。1点の安心感とブラジル戦の疲れからか、フランスは守から攻に移るときにミスが出る。若いクリスチアーノ・ロナウドの突破に、次の誰かのフォローとシュートの決定力があればという場面も、フィーゴの巧みなドリブルから隙間を見つけてのシュートもあった。しかし、崩しきれないまま90分が過ぎた。
 試合の後で、抱き合いユニフォームを交換するジダンとフィーゴを見ながら、ポルトガルの一つの時代の終わりとなるゲームに立ち会えて良かったと思った。


(週刊サッカーマガジン 2007年2月13日号)

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