賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >第21回 杉山隆一(3)メキシコへの道を開くゴールを決め、メキシコ銅メダルのゴールへのパスを送る

第21回 杉山隆一(3)メキシコへの道を開くゴールを決め、メキシコ銅メダルのゴールへのパスを送る

バンコクでの過酷な経験

 北朝鮮と日本のワールドカップ予選がタイのバンコクで行なわれることに決まったようだ。ここは日本のサッカーにはなじみ深いところだ。
 この連載のヒーロー、杉山隆一もまた何度も訪れているが、印象の強いのは66年12月の第5回アジア競技大会だろう。
 なにしろ、12月10日から19日までの10日間に7試合もしたのだから。
 日本は1次(3試合)、2次(2試合)リーグを全勝で準決勝へ進み、ここで一時で勝っているイランに敗れて3位決定戦に回り、シンガポール(2次で勝っている)を破って銅メダルに終わった。過酷な環境の中、好成績で勝ち上がりながら、ノックアウト制の一発勝負に敗れた苦い経験はメキシコを目指す監督、コーチ陣には大きな教訓となるのだが…。
 杉山はタイ戦を除く6試合に出場して2ゴールを決め、ドリブルで再三チャンスを作って、大会後のアジア・ベストイレブンに釜本邦茂、小城得達(東洋工業)とともに選ばれた。
 そのメキシコ・オリンピックのアジア第1組予選は、67年9月27日から10月10日までの2週間、東京に日本、韓国、レバノン、南ベトナム、中国(台湾)、フィリピンの6ヶ国が集まり1回戦総当りのリーグで行なわれた。
 日本は開幕試合で、フィリピンを15−0で破った。67年4月にヤンマーに入って日本サッカーリーグで杉山のライバルとなっていた釜本が6得点、宮本輝紀(新日鉄)が4、小城と桑原楽之(東洋工業)、渡辺正(新日鉄)が各1ゴール、杉山は2得点で、前半4分に右からのクロスをヘディングで決め、日本のゴールラッシュの口火を切った。
 第2戦で中国を4−0、第3戦でレバノンを3−1で破った日本は10月7日の第4戦で、やはり3勝の韓国と戦った。


メキシコ予選、対韓国2点目

 朝から雨が降り、中国対南ベトナムに続いて行なわれた日韓戦では、ピッチは荒れていた。日の丸と大極旗振られる中で、日本が前半2−0とリード。1点目は宮本輝のボレーシュート、右の釜本からのクロスを八重樫茂生(古河電工)がヘディングでつないだボールだった。2点目は杉山が相手DFの間を走り抜け、30メートルドリブルして、倒れながらのシュート。レバノン戦でひどいタックルを受けて転倒した左肩関節を亜脱臼、この日は痛み止め注射を打っての出場だった。
 後半に韓国は単純に蹴って走る戦法に切り替える。李会沢のシュートで1−2、後半半ば24分に許允正のヘッドで同点とした。その直後、釜本が宮本輝からのパスを受けて突っ切り3−2とする。しかし、韓国の勢いは止まらない。金基福が3点目を奪って再び同点。
 そこからの息詰まる展開を、正確に覚えている者はほとんどいないだろう。
 予選最終日の日本−南ベトナムは10月10日だった。その前日、韓国はフィリピンに勝って4勝1分けとしたが、フィリピンの全員守備に5得点を挙げただけ。得失点差で日本に追いつけず。日本はベトナムに勝ちさえすればよい――という“好”条件になった。
 しかし、人の心は微妙なものだ。勝ちさえすれば(勝つのは当たり前)という空気は、南ベトナム側の反発心を呼び起こし、日本側には「勝たなければ」の緊張感から動きのスピードを奪うことになる。
 記者席は、韓国戦のハラハラから、今度はイライラに変わった。コチンコチンの日本に対して見事な守りを見せていた南ベトナムに、一つミスがあった。そのミスキックのボールを拾った杉山が左から中へ持ち込み、相手2人を抜いて飛び出してきたGKともつれる形になったとき、一瞬早く彼の足がボールを突き、ボールはネットに転がり込んだ。
 杉山のひらめきと突破によって、メキシコへの道が開かれたのだった。


ボールの持ち方で受け手に知らせる

 メキシコでの彼の活躍ぶりは、すでに多くを語られ、私も何度か繰り返した。
 68年冬の西ドイツへの短期留学以降、急激に力をつけた釜本の得点力を生かすことが、メキシコでの上位進出のテーマとなった。
 チームが出発する日、私は羽田のロビーで彼と宮本輝を誘ってお茶を飲んだ。何気ない会話の途中で、杉山は急に真顔になって「今度はやりますからネ」と言った。彼は釜本の銅メダル・ゴールを生むパスの送り手となった。
 メキシコのあとも三菱での選手生活があり、そしてヤマハの監督となって今のジュビロ磐田の基礎を作るのだが、指導者になった杉山と川本泰三さん(連載6〜8回に登場)の対談をある雑誌で企画した。自らがシューターであり、杉山の得点能力を高く買っていた川本さんは、彼がメキシコでパスの出し手に回ったときの心境を聞こうとした。
 杉山隆一はこのとき「ボクは自分のボールの持ち方で、どこへパスを出すかを受け手に分からせるようにしたのです」と言った。世間から見れば、ストライカーが主役とすれば、パスを出す方は脇役――。チーム戦術のために脇役に回った杉山が、サラリとこの言葉を言ってのけたところに私は杉山の成長と自立を見る思いがした。
(杉山の選手晩年や指導者ぶりについては別の機会に――)


(週刊サッカーマガジン2005年5月31日号)

↑ このページの先頭に戻る