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ケガの恐怖を除くドリブル練習

話の弾丸シュート第7回
聞く人 小山敏昭(共同通信・大阪支社運動部)


 日本リーグもいよいよゲームを重ね予想通りヤンマー、三菱、日立の“三強”が抜け出してきた。開幕当初「リーグに新風を送り込む。リーグのマンネリ化を防ぐのは三強を倒すこと」と張り切る古河も守備の要(かなめ)清雲や木口らの故障でやや後退。旋風吹きまくった永大もFWの中村、小崎、中山らがもうひとつでやはり停滞気味。まだまだリーグも長いが、こうしたケガ人や故障者が出てチーム力が低下したり、ガタガタになってしまうケースが目立つのも最近の日本リーグだ。
 今月はこうした選手に“つきもの”のケガについて聞いてみた。


読者の指摘に一言

――今回はケガのことについてお伺いするわけですが、その前に先月号の読者からの投書の中に川本さんのおっしゃられる「日本のコーチングスクールを潰してしまえ」「モントリオールの看板を早くおろせ」というくだりが日本サッカーに非常に酷である、といった投書が来ていたのですが、どうやら投書された方に川本さんのおっしゃられる言葉の本当の意味が、取られていないようなのでもう一度お願いしておきたいのですが。

川本 そうだね。ボクの言うことがどうも誤解されているようだね。確かにボクは“いまのコーチング・スクールは潰してしまえ”といった。だけどそれには前提があるんだ。つまりコーチング・スクールを出た人が、個性を生かしたプレーヤーを育てていないようなコーチング・スクールだったら潰してしまえということなんだ。

 もし今の日本のコーチング・スクールが、例えば西ドイツのベッケンバウアーやミュラーらのように個性のある選手を育てたコーチを生み出すようなものだったら潰してしまえなんて決して言わないよ。今の日本では選手の個性を全く殺してしまうようなコーチばかり育てているから、僕はあえて潰してしまえと言ってるんだ。
 個性を生かしたプレーヤーを育ててくれるようなコーチをつくるコーチング・スクールだったら大いに結構なんだよ。

――個性を生かした、ということですね。

川本 うん。ところで“モントリオールの看板をおろせ”というのも日本のサッカーの発展を考えて、今のような発想、考えではだめなんだということなんだ。ボールをうまくもてない選手が目先のことにとらわれてやっていたら日本はいつまでたってもうまくなるはずがない。とにかくボールを持つことがうまくなってから目標を立てろと言いたいのだ。そのためにはとにかくドリブルをたっぷりやれということだね。

――これで投書された方にも納得出来たのではないでしょうかね。

川本 まあ分かってもらえたと思うよ。


ケガに強かった昔の選手

――それでは話を本筋に戻して、ケガのことについてお伺いしたいんですが。

川本 そうだね。日本の選手というのは平均してケガに弱いようだね。戦後の日本の代表的選手を三人あげるとすれば、釜本、杉山、八重樫だと思う。三人ともケガも多かったな。彼らはずいぶん長くやったからケガも多かったし、また、そのケガを克服して長くやったともいえる。

――釜本選手も、今季また開幕戦で右ヒザを痛めたということですよ。

川本 釜本はヒザが多いようだネ。八重樫なんていう選手は体中ケガだらけ。まさに体の中はハリガネだらけかもしれないよ。

――3人のような選手を別としても、ちょっといいなと思うと、すぐケガでひっこむのが多いでしょう。

川本 昔のサッカーは、相手にケガさせにくるようなのが多かった。それをかわしてやっていたんだ。ケガをすることもあったが、ケガに強いものがたくさんいた。ところがある時期に選手たちがケガに対してものすごく臆病になった時期があった。

――それはいつごろのことですか。

川本 東京オリンピックの前の62〜63年のころじゃないかな。こんなことがあった。日本代表が欧州に遠征する前の岐阜の合宿を見に行ったときなんだ。ある選手ひとりが宿舎に残って、練習に行っていないんだ。どうしたんだ?と聞いたら本人はケガをしていると言うんだよ。ところが階段は跳ねてのぼるし、何ともなさそうなんだな。まあそこは大事にせいといって引き上げたんだが。後でその選手が欧州遠征のメンバーに入っていたんだよ。よくよく聞いてみたらもう一度でもケガをしたら欧州には行かせてもらえないので、練習を休んだというわけだった。

――ケガすることを怖がっていたんですね。

川本 そう、ケガに怯えていたんだ。

――昔の選手はケガに強かったということですが、そのへんのお話を伺わせて下さい。

川本 面白いエピソードがあるよ。ベルリン五輪のときだったが、堀江君(現早大監督)が手の骨を折ったんだ。本人は手を胸のところに上げて走っていたんだけど、実はプレーに一生懸命で骨が折れていることには気がつかなかったんだ。それと同じことが昭和9年のマニラで極東大会にもあった。その時の野沢君という選手が同じケースだった。対フィリピン戦の後半、彼は胸を蹴られたんだ。肋骨が折れるほどの重症だったんだが、本人は蹴られた時点でもう意識をなくしてしまっていた。だから肋骨が折れているなんて、全く分からなかったわけだ。ところがその彼が決勝点を叩き込んだんだから……。

――堀江さんの格好はさしずめ、メキシコのワールドカップで腕を固定してやっていたベッケンバウアーみたいなもんですね。

川本 堀江君なんかまさにそうだったな。ところが戦後になってクラマーが日本にきたとき、日本のサッカーには大和魂がなくなったといわれるほどケガに臆病になってしまっていたんだな。

――では何が臆病にさせてしまったんでしょうか。

川本 それは受け身がヘタになっているということだな。昔の選手は受け身がうまかった。相手のタックルに対しても無理に踏んばって逆らったりせずに、うまく転んで逃げていたんだね。今でも欧州や南米の選手はうまいこと転がったり、倒れたりしている。あの受け身がいまの日本の選手にないんだな。欧州へ遠征したときなど、そういうプレーを見てくればいいのだがね。

――ではその受け身はどうすればうまくなれるのでしょうか。

川本 それはね、ボールを持って練習するということだ。いまの選手たちはボールを持って練習していないから、細かい筋肉が鍛えられていない。だから複雑な動きに耐えられないし、ケガもしやすくなるんだ。いまの練習ではボールを実際に触る時間がせいぜい5分ぐらいではないだろうか。1時間半の試合で人がボールに触れている時間は2〜3分というが、だからといって練習のときにボールに触れている時間が少なくてよいわけはない。うまくなれるハズはないんだ。何度も言うように“ドリブルをやれ”というんだよ。ドリブルを徹底してやることはボール扱いと同時にからだを作ることになるんだ。ボクはドリブルをやったせいか、早大時代、日本代表の時代によく相手バックスから狙われたけど二度しかケガをしたことがなかったよ。

――二度だけですか。

川本 そう、やっぱりケガをしないことにこしたことはない。そしてケガをしないことが大事だね。そのためにはドリブルを数多くやることが大切なんだよ。


(『イレブン』1975年7月号「話の弾丸シュート」)


*関連リンク

・メキシコ・ワールドカップで腕を固定してプレーしたベッケンバウアー
 Italy 4-3 Germany, 1970 (Part 6)(YouTube)
堀江忠男(Wikipedia)
野沢晃(Wikipedia)

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