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若い選手はメルヘンを持とう

話の弾丸シュート第8回
聞く人 小山敏昭(共同通信・大阪支社運動部)


 日本サッカーリーグも予想通り三菱、ヤンマー、日立の強豪3チームが上位を占めたところで前期を終了。後期再開の10月中旬まで一足早い“夏休み”に入る――。
 といっても、日本サッカー界はこれからが本当の正念場。十月に予定されているモントリオール・オリンピックの代表の座をかけたアジア地区の予選に向けて、日本の総力を結集しなければならない時期である。
 この重大なときに、依然として“若手の成長の遅い”のを嘆く声が多い。今月は川本さんに若い選手たちのアドバイスを伺ってみた。


夢を実際に工夫する

――若い選手が伸びてこない。釜本や、かつての杉山、宮本輝などにかわる選手が出てこないと言われています。注目されているわりに伸びない若者もいるようです。将来の日本を背負う若手への、アドバイスをしていただけませんか。

川本 まあアドバイスといえるかどうか分からんが、選手はメルヘンを持ってほしいネ。

――メルヘンですか? 童話などに出てくるおとぎの世界、夢の世界のことですか。

川本 そう。おとぎ話の世界のことだ。つまり夢や空想を持てということだな。みんな選手がいまは同じようなことばかりやっている。これではいかんよ。もっとメルヘンを持たなければいかん。

――夢や空想をですね。

川本 ひとつ面白い話をしようか。知ってる人も多いと思うが陸上の大選手で織田幹雄(アムステルダム五輪三段跳び優勝)という人がいるんだ。彼がある夜夢をみた。その夢というのが、いままで自分がやったことのないようなフォームで自分が跳んでいるシーンなんだ。
 彼は眠りからさめると、そんなフォームなんて本当にあるのだろうかと思って実際に試してみたんだ。そうしたらそのフォームで日本記録がマークされたと言うんだよ。

――夜見た夢がまさ夢になったというわけですね。

川本 そういうことだね。これは、ほんとに眠っているときに見た夢の話だが……。必ずしも、直接的なこういう夢というだけでなく、ともかく若い人は夢をもっと見るべきなんだよ。そしてその夢をどんどん実際に工夫して見ることが大事なんだ。

――ただ夢見るだけでなく実際にやってみるということですね。

川本 まず夢を見ること。つまりメルヘンを持つということだね。それからそれを工夫してみることなんだ。いまの若い人たちには全くメルヘンがないような気がしてならない。ひょっとするとどこかでコーチが妨げてしまっているのではないかと思って心配しているんだがね。

――そういう可能性もあるかもしれませんね。

川本 そうだ。さっきは織田選手の例を出したけど、実はボク自身にも同じような夢の体験があるんだ。大学(早大)に入って2年目のときなんだが、もっともいまの学制では一年生かな、一度ボクはどうしようもないスランプに陥ってしまったんだ。
 いくら練習してもどうしようもない。全くどうしていいか困り果ててしまったんだよ。ところがそんな調子なのにそのシーズンに初めて東西選抜対抗の全関東の代表選手に選ばれたんだ。

――東西対抗といえば、そのころは日本の最高のイベントだったんですね。

川本 そう。全関東と全関西の対戦なんだ。その年は関東大学リーグでは慶応が優勝して、全関東の主力はほとんど慶大から選ばれた。そして残りのメンバーに早大や東大から少しずつ加わったんだ。
 つまり若い学生のチームだった。ところが全関西の方は関学やその他の大学のOBばかりで錚々たるメンバーを集めたんだよ。とても歯が立ちそうな感じじゃなかった。まあボクはそのとき東大の菊池君とFWのコンビを組んだ。そして前の晩ボクは夢を見たんだ。
 その夢というのが、ボクと菊池君が二人でパスしてさっさっと攻めこんでゆく夢だったんだ。ところがいざゲームが始まると、まさにその夢の通りになったんだ。初出場のボクが3点入れて3−2で全関東が勝ってしまったんだ。ボクはそれから二度とスランプという経験をしたことがなかったよ。

――面白いお話ですね。

川本 中学(旧制)から大学予科へ行った1年目、無我夢中でプレーをした。2年目になって、カベというのか、スランプにかかった。そのとき、全関東に選ばれて自信もなかったのに、ゲームではスランプなんか解消したんだから。

――だけど夢をみようと思って寝ても、なかなかそんな夢はみられるものではないと思うのですが。


鉄は真っ赤なうちに叩け

川本 そう。相当その“物”に打ち込んでいなければ夢に出てくるわけがない。ボクの場合はそのころ朝から弁当を持って、東伏見(早大グラウンド)のあるところに一日中通っていたんだ。自分でカベにあたっている感じで、解決を見出すこともできなかったが、ただ、一日中ボールをさわっていたんだ。

――要するに、徹底的に打ち込むということですね。

川本 そうだよ。まず打ち込むということだよ。だけどここで大切なことがあるんだ。

――それはどんなことですか。

川本 鉄は真っ赤なうちに叩けということだね。つまり子供から大人への転換期にね。ボクが東伏見へ通ったころは18〜19歳のときだった。まさに真っ赤に焼けているときにトコトンまでやったということだ。

――つまり大事な時期があるというわけですね。

川本 真っ赤なうちにね。それにつけ加えるならば、その真っ赤になった時期を逃すな、ということだ。年をとってからではいくら鍛えてもダメなことが多い。真っ赤になる時期というのは日本人の場合は欧米の人たちと比べると多少遅いとは思うけどね。

――そうですね。

川本 そういう意味で、全国高校選手権で活躍して藤枝東から法大に進んだ中村(一義)という選手がいたね。彼は高校時代にみんなが感心するほど素晴らしいセンスを見せていた。ところがその後、大学に進んで全く名前すら聞かれなくなってしまったようだね。彼なんか、まさに一番大事ないま、どんな過ごし方をしているのだろう。名前も出てこないぐらいだからきっと何もやっていないということだろうかなあ。

――期待されながら大事な時期を逃している人が多いですね。ところでその他に何かありますか。

川本 これは前にも言ったかもしれないが、代表候補には体のない選手や、足の速くない選手にも門戸を開けということなんだ。長沼監督ら今のコーチ陣は金科玉条のように足が速いことがいいことであるように言っている。だが、本当にそうだろうかねえ。世界に足が速いわけではないのに何10人も何100人も活躍している選手がいるんだヨ。

――クラマーさんの話だと、1954年に西ドイツがワールドカップで優勝したときのゲームメーカー、フリッツ・ウォルターは100メートル14秒だったということです。

川本 実際にボクだってしょっちゅう足が遅いことを気にしていたんだ。だけどここで一番言いたいのは、足の遅い選手でも他に何かいいものを必ず持っているはずなんだ。コーチはそれを引き出してやるようにしなければいけないんだよ。日本はそういうことが全く行なわれていない。選手の方も工夫しなければいけないんだ。

――特徴のある選手をもっと日本代表に入れなければいけませんね。

川本 そう、サッカーというのは欠点の裏返しである長所を生かすことのできる競技なんだ。若い人は夢を持ってほしいネ。


(『イレブン』1975年8月号「話の弾丸シュート」)


*関連リンク

中村一義 (サッカー選手)(Wikipedia)
・フリッツ・ウォルター(#16)
 World Cup 1954 Final - Hungary 2:3 Germany(YouTube)

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