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第29回 テレ・サンターナ(2)アルゼンチンを苦しめ欧州王者・西ドイツを圧倒。新しい魅力の80−81ブラジ

コパ・デ・オロでのデビュー

 1980年12月30日から81年1月10日まで、ウルグアイの首都モンテビデオでコパ・デ・オロ(スペイン語で黄金のカップ)という大会が行なわれた。この地での第1回ワールドカップ(1930年)開催50周年記念で、優勝経験を持つ6ヶ国のトーナメント(集結大会)をウルグアイが提唱してFIFAが主催したもの。ただし、66年大会優勝のイングランドは国内リーグの調整がつかないのを理由に不参加。代わって74年、78年大会連続2位のオランダが出場した。
 6チームはA(ウルグアイ、オランダ、イタリア)B(アルゼンチン、ブラジル、西ドイツ)の2組に分かれ、それぞれ総当りリーグののち、1位同士による決勝を行なった。
 英語でゴールデンカップともいったが、小さなワールドカップということで、スペイン語でムンデアリアートとも呼んでいた。80年の夏、ヨーロッパ選手権(6月11〜22日、イタリア)を取材し、ワールドカップより規模が小さく、それでいてサッカーの本場の香りの充満しているトーナメントに魅せられた私は、ワールドカップ発祥の地での6強対決を見逃す手はないと出かけたのだった。
 50年前に建国百年を祝って作られたエスタディオ・センテナリオで、12月30日にウルグアイ対オランダの開幕戦があり、地元チームがまず1勝、1月1日、世界チャンピオンと欧州チャンピオンが対戦してアルゼンチンが2−1で勝った。西ドイツはブリーゲルがマン・マークでマラドーナを封じ、ルベッシュのヘッドでリードしたが、最後の6分間に2点を失った。CKからパサレラのヘディングがカルツの左足に当たったオウン・ゴールと、マラドーナとともに79年ワールドユースで活躍したラモン・ディアスのゴールだった。


ジーコ抜きでも多士済々

 テレ・サンターナ監督率いるブラジルが登場したのは1月4日、相手はアルゼンチン。「ジーコという切り札を欠きながらいい試合をした。あらためてこの国がタレントの宝庫であることを再確認した」とはこのときの私のメモ。
 GKはカルロス(ケガで途中からジョアン・レイチに代わる)、DFはエジバウド、オスカー、ルイジーニョ、ジュニオール、MFはトニーニョ・セレーゾ、バチスタ、レナト(後半からパウロ・イジドロ)、それにFWのチッタ、ソクラテス、ゼ・セルジオたちは、78年の優勝メンバーにマラドーナとディアス、バルバスの若いメンバーを加えた(足の故障でケンペスは休む)アルゼンチンよりも試合展開に優れていた。
 一人ひとりの技術の高さはもちろんだが、攻め上がりに驚くほどの才を見せるジュニオールと、左サイドのドリブラーのゼ・セルジオが圧巻だった。彼の鋭さには堅固で定評のあるアルゼンチンのアルゼンチンのDFも2人がかりでなければ止められなかった。後半に出場したパオロ・イジドロの右サイドからの侵入は独特のリズムがあり、意表をつく持ち方と突破でアルゼンチン側を困惑させた。1−1のスコアはともかく、世界チャンピオンにとって、この新しいライバルとの試合展開は不満の多いものとなり、メノッティ監督の“超不機嫌”はついに“外国人記者お断り”の記者会見となった。


外でも内でもスペースを作る

 新しいブラジル代表は1月7日の欧州チャンピオンとの対戦でさらにスタンドを驚かせる。アロフスのシュートで西ドイツに先制されたが、後半に攻撃が爆発して4ゴールを奪う。チッタが中へ入り、右外を空けてイジドロが入ってくる。ゼ・セルジオによって内側に生まれるスペースへDFのジュニオールが上がってくる――、ソクラテスやトニーニョ・セレーゾの右への斜行のあとに生まれた空白へ誰かが入ってくる――、ドリブルとパスの、それもときにダイレクト、ときに2タッチと、変幻自在の攻めだった。
 もちろん、ドイツ側に守りの要(かなめ)シュティーリケの不参加、ヘディングの強いルベッシュの不在という事情はあったけれど。テレ・サンターナとセレソンの評価は一気に高まった。
 イタリアをも破ったウルグアイとの1月10日の決勝は、ブラジル側にGKのミスもあって1−2で敗れたが、優勝したウルグアイよりもブラジルの方が明らかに魅力的だった。
 ボールをキープし、常に攻撃を思考するこのチームのスタイルは、74年、78年のいささか後ろの重いブラジル代表とは明らかに異なり、70年の円熟したペレのブラジルに近いものだった。
 80年の欧州選手権で、全体に守備的傾向の強いことに不満を感じていた私にとっても、このコパ・デ・オロのブラジルは心の渇きを潤すもの。
 テレ・サンターナのこのチームはジーコを加えた81年の欧州遠征でイングランドを1−0、フランスを3−1、西ドイツを2−1で破り、アウェーでの対3強で全勝する。いまワールドカップがあれば疑いもなくブラジルの優勝と、このとき誰もが思ったに違いない。


(週刊サッカーマガジン2005年8月2日号)

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