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第30回 テレ・サンターナ(3)W杯で攻撃的に戦いトヨタ杯を連続制覇。ブラジルの誇りを取り戻す

バスケのような自在の展開

 古い仲間との昼食会で、“ドイツ行き”アジア予選突破を喜び合いながら、「それにしてもメディアの変貌ぶりはひどい。いまにも監督解任と言っていたのが、“神様”になるのだから」――という声があった。私は、ブラジルでもテレ・サンターナをブラジル的と賞賛しながら、勝てないと非難が高まるのだから――と答えたのだが……。
 いずこも同じと言うべきか――。
 さて、前号で81年のコパ・デ・オロにいささか行数を費やしたが、それほどテレ・サンターナの新しいブラジルの印象が、私には新鮮であったと言える。ジーコ抜きでも高く評価されたこのチームは、彼を加えた81年夏の欧州遠征では“ブラジルとヨーロッパには大きな差がある”“バスケットボールのグルーブ・トロッターズのように自在にプレーする”との賛辞を受ける。28歳、充実期のジーコは攻撃の軸となり、自ら3試合で2得点した。彼はこの年12月の第2回トヨタカップでフラメンゴを勝利に導き、最優秀選手となる。テレ・サンターナにもジーコにも最良の年だったが……。
 82年スペインワールドカップで、ブラジルは1次リーグを3戦全勝して、2次リーグへ進む。
 3チームによるC組の初戦で、ブラジルはアルゼンチンを3−1で破った。
 次のイタリア戦は、引き分ければ1位で準決勝進出という好条件だったが、2−3で敗れてしまう。ファウルも辞さないイタリアの堅い守りを見事な攻めで崩して2点を奪いながら、ロッシの奇跡的なハットトリックに敗れてしまった。
 左寄りのエデルと中央のセルジーニョの2トップに、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾら黄金のカルテットのMF陣。これに右のレアンドロ、左のジュニオールのサイドDFが加わる攻撃は、まことに見ていて楽しかった。ジーコに渡ったところで生じるタイミングと方向の変化があり、右サイドに作ったオープンスペースへ誰かが走り上がる攻めは、70年のペレとカルロス・アルベルトのチームを思い出させるものだった。
 中盤の4人に比べて、セルジーニョに目立つ活躍がなかった。また、イタリア戦ではトニーニョ・セレーゾが、パスをロッシに奪われるというエラーもあったが、こうした点についての質問には、監督はきちんと答えはするが、選手たちを責める言葉は一切なかった。出てくるのは、「パーフェクトなプレーヤーはいないもの。ミスもあり得る。それはみんなでカバーするもの」だった。


解任されてもまた復帰

 82年9月29日に代表監督を解任され、サウジアラビアのアルアリの監督へと去った彼は、1985年3月1日に再びブラジル代表監督に戻る。84年から要請はあったものの、サウジのクラブとの契約のために戻るのが遅れた。
 本来なら時間をかけてブラジル全土を回って、若いプレーヤーを探すことから始めたいが、その時間はなく、86年メキシコ大会は82年のメンバーが主力となる。FWにカレッカが参加できたが、大黒柱のジーコがケガで苦しんでいた。結局はこれが影響するけれど、大会3試合目から試合途中に登場してくるジーコの姿に、監督の信頼の深さとジーコの強い意志を知ることになる。
 第2ラウンドに入って準々決勝でフランスと対戦。カレッカのゴールでリードし、プラティニに同点にされ1−1。72分に登場したジーコのスルーパスに走ったブランコがGKバツに倒されてPKを得る。しかしジーコのキックはバツに防がれ、延長も得点なくPK戦でブラジルは敗退した。
 このジーコ、ソクラテスのブラジルとプラティニ、ジレス、ティガナのフランスとの120分は、ワールドカップ史上でも、技巧的で、攻撃的で、芸術的な好ゲームとして歴史に残るもの。あのマラドーナがテレビ観戦で絶賛したのだった。


家族のようにまとめる

 2度のワールドカップで魅力あるサッカーを展開しながら優勝できなかったテレ・サンターナは、そのあと、しばらくクラブでの成果は上がらなかった。やがて90年、瀕死の状態のFCサンパウロに迎えられ、ここでリベルタドーレス杯を取って南米のナンバーワンとなり、92年12月13日のトヨタカップでクライフ率いるバルセロナを倒して世界クラブ王者に就いた。61歳で手にした“世界”のタイトルは、次の年にもACミランを破って連続して握ることになる。ジーコが新生活を始めた日本で……。
 92年にはソクラテスの弟ライーがいた。ミューレルは両年ともFWで活躍した。55年生まれの大ベテラン、トニーニョ・セレーゾは献身的な働きを見せた。「違ったクラブから集まった22人の代表を、家族のようにする力がある」(エデル)と言われた彼の魔力が、サンパウロというビッグクラブで花を咲かせた。
 この来日のとき、インタビューするチャンスがあった。攻めるサッカーが好き。第一に技術、そして技術を発揮する体力。それと選手の自律心――が、そのとき話の随所に出ていた。プレーヤーの自主を重んじ、美しい攻撃サッカーを好んだ。
 テレ・サンターナは、ブラジルの、というよりサッカーそのものの本流と言えるだろう。鹿島でチーム作りの努力を重ね、いま日本代表のレベルアップを図るジーコを、テレと重ね合わせて見るのは私だけではあるまい。


(週刊サッカーマガジン2005年8月9日号)

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