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第33回 番外編・中沢佑二 不得手なはずの左足が咄嗟にボールを捕らえたボンバー中澤の決勝ゴール

巻のジャンプと小笠原の弾道

 優勝は出来なかったが、東アジア選手権ではうれしいこともあった。
 これまで控えだった選手が登場して、阿部勇樹のFK、今野泰幸の“奪うタイミング”をA代表で見られたこと。駒野友一のタフネスと冒険心あるランを映像の中に確認し、田中達也の気迫に満ちたドリブルを満喫したこと。彼の早い仕掛けと大きなスワープは“小柄なプレーヤーは動きを大きくすることで、その俊敏性を生かす”という私の持論の優れた成功例でもあった。
 184センチの巻誠一郎の働きに目を見張った。ゴールはなかったが、そのジャンプは相手の脅威となった。相手ボールを追う頑張りにテレビ観戦者は強い感銘を受けた。
 そうした、たくさんの喜びの中での一番は、対韓国戦の中澤佑二の左足ダイレクト・シュートだった。
 後半になって、負傷の坪井に代わって登場した中澤が86分の右CKで、小笠原が蹴ったボールが巻を越えて落下したのを左足で捕らえ、早いボールでGK李雲在の股間を抜いたもの。
 右CKは巻がボールを追ったことで生まれ、その巻がニアでジャンプし(当然、相手DFもマークしていた)頭上を通ったボールは小笠原らしい弾道で大きく落下した。いわば3人合作のゴールでもあるが、ヘディングの二番手として中央へ入った中澤が、落下点で左足に当てたところが“ミソ”である。
 現地で取材した記者の話では、本人も“咄嗟”のことで足が出ただけと言ったそうだが、ゴール裏のテレビ画面は、右足の前へ左足を出して、アウトサイドに当て、しかもボールを押さえている(こういうボールはアウトサイドの方がインサイドより押さえやすい)。一瞬左利き選手かなと思うところだが、中澤は右利きで、それも、しばらく前までは左は全くと言ってよいほど使えなかったプレーヤーだったところが面白い。


ドリブルを防ぎたいとブラジルへ

 中澤選手を初めて見たのは、彼が1999年、ヴェルディ川崎でJ1に出るようになってから。1メートル87の長身で、骨組みがしっかりしていることと、ボール扱いが飛びきり上手とはいえないが、決して下手ではなかったのが魅力だった。
 聞くところによると、埼玉県の高校を出て、ブラジルのアメリカFCでサッカー修行をしたという。
 DFだった彼はブラジルでボールテクニックを覚えるより、ドリブルの上手な相手を止めることを身につけたいと考えたそうだ。自分はボールテクニックで売る選手でなく、どんな相手をも防ぐことを看板にしたいと思ったらしい。プロのサッカー選手になるためには、自分の能力をどう生かすかを判断したのだろう。
 ブラジルで学んだ彼のディフェンス力も、ときには痛い目に遭うこともあった。99年11月17日、長居でのアウェー、対セレッソ大阪戦で、彼は黄善洪(ファン・ソンホン)をずーっとマークして苦しめながら、一瞬、間合いを開けて、黄善洪にシュートを許し、1−2で敗れている。
“右足のリーチは大きいが、左でボールを蹴らないために守備動作のバランスが良くない”というのが、当時の彼についての感想だった。
 その頃のある企画で、日本のオールタイム・ベストイレブンの選出があった。古い選手たちを多く選びながら、DFに若い中澤佑二を書き込んだ不思議がる記者仲間に、私は日本サッカーの歴史の中で、これほどの体で(上手ではなくても)この程度にボールを扱える選手はいなかった。もちろん、成長することも見込んではいるが……と答えたことを覚えている。


一人の上達はチーム全体のアップ

 2002年に横浜F・マリノスに移り、2003年から岡田武史監督の下でチームも彼自身もステップアップする。同時にジーコの日本代表での出場も多くなる。
 自ら日本代表の守備的MFであった岡田監督は、1対1での対応、特に間合いについてはずいぶん練習させたらしい。その守りの基本となる1対1に自信を持ってから、彼が試合中に左足でボールを蹴るようになったのを見る。
 ジーコが日本代表で左CBを任せたため、左足で縦へのボールを蹴らなくてはならなくなったこともあったはずだが…、いずれにせよ、日本選手は利き足だけでなく、不得手な方の足の上達も必要という、私には好ましい彼の変化だった。
 北朝鮮戦では、ゴール前からクリアしたボールを、すぐ目の前の相手側に取られる(まるでパスのように)失敗をした中澤佑二にとっては、もともとサッカーに真面目な人柄だから、奪ったゴールよりも失った1点のほうがこたえるかもしれない。だが、7年間の彼の成長ぶりを眺めてきた私には、咄嗟に出した左アウトの1ゴールは彼のステップアップを示すものに思える。それは、一人のプレーヤーが工夫し、練習し、一つの技を身につければ、チームにとって、とても大きなプラスになる――ということの表れだからである。
 誰もが認める努力家、中澤佑二の成長をまだまだ見てみたい。


(週刊サッカーマガジン 2005年8月30日号)

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