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第34回 番外編・福西崇史 攻撃のフォローにも奪い合いの強さにも努力と成長を見せる

異質のライバル、イランに勝って

 まずは皆さん、おめでとう。予選突破の上に、グループB1位という栄誉を加えて、3月25日の対イラン・アウェー戦(1−2)の借りを返したのだから…。
 サッカーで、日本のライバルといえばお隣の韓国だが、もう一つ遠く離れたイランもまたそうだ。韓国との対戦は1954年からだが、イランとは51年の第1回アジア大会(インド・ニューデリー)からの付き合いになる。日本が大戦後の国際スポーツ界に復帰した最初の試合で顔を合わせたのがこの国。第1戦は0−0で再試合の末、2−3で敗れている。この試合に出場した兄・太郎の感想は「体格の良いイランは1対1で難しい相手。パス攻撃で2点を取ったが、ロングボールから2点を取られ、ロングスローにミスが出て3点目を奪われた」。
 この大会では結局、イランは準優勝、日本は3位だった。アマチュア時代が過ぎ、93年からのプロ化で、アジアの東の勢力となった日本にとっても、西の雄イランは手強い相手であり続けた。
 1993年の、あの「ドーハの悲劇」は最終戦の対イラクとの引き分けの話だが、実は6ヶ国リーグの第2戦にイランに1−2で敗れたのがオフト監督とカズやらモスのチームにとっての痛い伏線となっていた。その前年の広島でのアジアカップで日本が初優勝したときにも、日本はイランに苦戦(1−0)している。戦術好きの日本人の中にはイランのサッカーは古臭いという見方もあったが、大きくてしっかりした骨組みの厚い体と一人ひとりの粘っこいプレーは、日本にとって“やっかい”なものだった。


トルコと同質の粘っこい体つき

 同じ西アジアでもアラブと違って、イランは2002年に苦汁を飲まされたトルコと同様に、古くからレスリングなど格闘競技の盛んなところ。あるいは、そうした伝統のスポーツ(遊び)で培われた体質があるのだろう。3月のテヘランでの対戦でも、結局一人ひとりの奪い合いのところでのワン・プレーの後の、次の動作で相手の方が強く、そこから日本の守りが崩れている。体と体の接触の際の相手の重さや粘着力が影響しているようにみえた。
 その相手に今度は2−1で勝った。早い動き、パスを出すタイミングを一呼吸早くしたこと(したがって、無用のバックパスが減少した)が生きたと言える。
 ただし、ダエイのエリア内でのターンを止めようとして中澤佑二がPKを取られたことや、ドリブルと簡単なパスのつなぎの後のシュートや、そのリバウンドを狙うイランの攻めが華やかさはなくても脅威であった。
 韓国のような(同質でなくとも)似た者同士のライバルでなく、イランのような異質のオポーネントとの戦いは世界の舞台で戦うキーの一つでもある。このひの勝利をヒントに、優位に立つ努力を続けたいものだ。


杉山隆一の期待を受けて

 ジーコ監督と選手たちの長い予選の戦いの、山あり谷ありの中で、福西崇史の向上は試合を重ねるごとに私の楽しみとなった。
 ボールを扱う姿勢の美しい、優しい顔つきのこのプレーヤーは、優れた素質で注目されていた。クラブの先輩である杉山隆一氏(元日本代表、元ヤマハ監督)などからも期待されながら、いささか足踏み状態だったのが、ここしばらくの試合は、まさにぐんぐんという勢いの伸び方だった。
 守備的ミッドフィルダーは、もちろん守りが重要なポイントだが、経験を積めば、攻めの働きのコツもつかむ。
 17日の試合は、ベストの出来ではなかったようだが、それでも、左CKから得意のファーでのヘッドで、ニアの大黒、中澤への折り返しを送った。
 攻撃の際にファーサイドへつめるうまさは、敗れたイラン戦での唯一のゴール、相手DFと柳沢が競り合って背後に落ちたボールに走り込んで左のボレーシュートを叩き込んだプレーとともに、多くの人の記憶に焼き付いている。
 中盤でのボールの奪い合いの際に、囲まれながら、一瞬、立ち止まって一呼吸置き、小さなターンで2人を同時にかわすプレーも見せるようになった。コンフェデレーションズカップでの対ギリシャ戦のゴールは大黒将志へ送った中村俊輔の見事なパスが目立ったが、引いて守る相手に対して、福西がドリブルで突っかけ、そのこぼれ球が中村に渡ったこと、多数防御をパスでかわそうとするのでなくて、突っかけることで変化を狙った福西のアイデアの実行が重要なポイントの一つだった。
 同じコンフェデ杯のブラジル戦で中村のFKのリバウンドを大黒が決めたとき、その大黒のすぐ右で、同時にボールへスタートしながら、福西がシュートチャンスを任せたが、右足のリーチの伸びる大黒の能力からみて、福西の判断はまことに的確と言えた。守りの自信の上に、攻撃の向上はチーム全体の戦力アップにつながる。
 29歳になる彼は、いよいよこれから絶頂期に入ってゆく。日本の中盤のプレーヤーは、すでに海外へ輸出するほどになり、次の世代から偉才・今野泰幸たちが上がってきていて、空前の豊作期にある。私たちは、その中核にある福西崇史の努力と着実な伸びを今後も見たい。


(週刊サッカーマガジン 2005年9月6日号)

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