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第38回 ゲルト・ミュラー(1)大黒の反転シュートから連想するバイエルンの偉大なストライカー

大黒将志の反転と予測

「大黒将志(おおぐろ・まさし)という点の取れる選手がいますよ」と聞いて、昨シーズン足を運んだ万博競技場での彼のナマの初印象は「ゲルト・ミュラーのよう」だった。
 この試合で彼の得点はなく、チャンスも多くはなかったが、肉の厚い、しっかりとした体つきと、小さなステップを踏む方向転換や、自分のほしいスペースを開けておいてそこへ入ろうとする姿勢が70年代最高のストライカーに似ていて、私にはとても好ましいものだった。
 ことし2月9日の対北朝鮮第1戦でロスタイムで決勝ゴールを決め、日本中を喜ばせるとともに、彼自身も一躍、時の人となった。
 相手GKがクロスを叩き返したのを福西崇史がペナルティエリアすぐ近くから縦に送り返し、ゴール正面、ゴールエリアあたりで大黒が半身になって左足でダイレクトシュートを決めた。そのタイミングが早かったため北朝鮮のGKは自分の体のすぐそばを通るボールを防げなかった。
 日本代表の鋭い武器となった大黒は6月の対北朝鮮第2戦、あのバンコクでの無観客試合で日本の2点目を決め、ドイツでのコンフェデレーションズカップでの対ギリシャで、中村俊輔からの短いパスを追って唯一のゴールを決め、対ブラジルでも俊輔のFKの(バーに当たった)リバウンドを右足のボレーで決めた。バンコクでは相手のディフェンス・ラインの裏の広いスペースへの飛び出しの早さと相手GKをかわしたあとも姿勢が崩れない強さ――。そしてギリシャ戦でも“自分のスペース”をあけておいて走り込む早さが生きた。FKからのゴールは、俊輔のボールの性質からリバウンドを予測する確かさとボールの動きへの反応がゴールを生んだ。


公式マスコットのコンビ

 いまから30年前、1974年のワールドカップ西ドイツ大会のとき、大会の公式マスコットとなったのはチップ・アンド・タップ。白ユニフォーム、黒パンツの西ドイツ代表のユニフォームを着た二人の人形だった。
 一方は背が高くスリムで、一方はずんぐり型、世間は暗黙のうちに背の高い方がベッケンバウアー(181センチ)ずんぐりの方がゲルト・ミュラー(175センチ)と勝手に決め込むほど二人はドイツきっての、いやヨーロッパきってのスター選手だった。さまざまな動きを組み合わせたこのマスコットを扱った商品が大量に売られ、ワールドカップのマーチャンダイズが本格化する大会ともなったのだが、ゲルト・ミュラーという選手の特色は、まさに、このずんぐりの体型が基盤となっている。
 上背からゆけばいまの日本代表の中に入っても低い部類になるミュラーが、この体型でどれだけゴールを決めたかというと――。


驚くべきゴール記録の数々

 まずドイツ代表のCFとして1966〜74年の62試合で68得点。この中には1970年のワールドカップ・メキシコ大会(西ドイツは3位)の得点王となった10ゴールもあり、74年西ドイツ大会で西ドイツが優勝を決めた決勝の対オランダ戦の2点目(この大会では4ゴール)を含んでいる。ワールドカップでの個人得点14は世界最高記録として今も残る。
 その一つひとつについては後に譲るとして、日本のJリーグの先輩、ドイツのブンデスリーガの強豪バイエルン・ミュンヘンでは1965〜79年までの間に365点(427試合)を挙げ、そのうち67年(28ゴール)69年(30)70年(38)72年(40)73年(36)74年(30)78年(24)と7回もリーグ得点王に輝いた。
 ヨーロッパ・チャンピオンズカップ(現・チャンピオンズリーグ)でも3回の優勝に合計36ゴールの個人記録をつけている。
 こうした彼のゴールの90%がペナルティ・エリアの中での足のシュートであり、ヘディング・シュートであるところからまたの名をリトルゴール(小さなゴール)とも言う。ただし、そのゴール近くのスペースを読み、ときには長い距離を走り、ときに細かな陽動を見せて、ここぞというときに、そのスペースに現れシュートにかかる早さはまさに爆撃機といえた。“ボンバー”と言えば、いまの日本では中澤佑二のボンバーヘッドが知られているが、ゲルト・ミュラーは、右足も、左足も、ヘディングもあり、走り込んでのダイレクトシュートも、一つ止めてのシュートも、ドリブルシュートも、そしてスペースへ走り込んで、なお妨害する相手DFがいたときには得意の反転してのシュートがあった。
 この稿を書きながら、私は31年前の7月6日、ミュンヘン・オリンピック・シュタディオンでの西ドイツ対オランダの前半43分に、右サイドを突破したボンホフがゴールライン近くから送ったボールを自らの体の後ろへ止めた後、ステップバックして体をねじるようにして蹴った右足のシュートを思い浮かべている。彼のようなゴールの量産者で、しかも、重要な試合の重要な場面のフィニッシャーが、どういうふうに育ってきたのかを改めて眺めてみたいと思う。


(週刊サッカーマガジン 2005年10月4日号)

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