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第40回 ゲルト・ミュラー(3)オランダを抑え、西ドイツを優勝に導く反射的運動のゴール

1シーズン40ものゴール量産

 万博記念競技場での鹿島戦は、G大阪にとって残念な引き分けになった。3点目を奪った直後の失点が苦い良薬となることを期待したい。
 この試合でG大阪の2点目となったのは相手GK曽ヶ端のミスキックだったが、バックパスが曽ヶ端に送られたときに、見逃さずにつめた大黒のダッシュとそのコースの取り方に、ストライカーとしての彼の予知感覚を知った。と同時に、GKが蹴ったボールを右足で止めたときの体のバランスの良さに、あらためて彼のリアクション能力の高さに驚いたものだ。
 70年代の記録破りのストライカー、ゲルト・ミュラーを紹介しているこのシリーズで大黒の良さと重ね合わせることができるのはまことに幸いなこと。
 さて、1970年のワールドカップで得点王となったミュラーは、次の71−72シーズンはブンデスリーガで22得点とややペースを下げたが、72−73シーズンにはなんと40得点をマーク(34試合)してバイエルン・ミュンヘンでの2度目のリーグ優勝に貢献する。
 この年はまた、西ドイツ代表がヨーロッパ選手権で初優勝。ここでもミュラーは予選のグループリーグ6試合で6点、準々決勝の対イングランド(ホーム&アウェー)の第1戦、ウェンブリーへ乗り込んでの3−1の勝利のときにとどめの3点目を決め、準決勝の対ベルギー(2−1)決勝の対ソ連(3−0)で各2得点を決め、5ゴールでEURO72の得点王となった。
 続く2年も、リーグで36ゴール、30ゴールを挙げて連続得点王。いよいよ迎えるのが74年ワールドカップだった。


74年ワールドカップの4ゴール

 前回3位の実績の上に72年欧州チャンピオンの開催国・西ドイツが優勝候補の一番手に挙げられたのは当然だった。
 しかし、6月13日にはじまった74年大会の前半期に主役となったのはオランダ。クライフと彼の仲間が披露した新しいサッカーに、世界の目はひきつけられた。
 西ドイツはホームでの重圧と、開幕前からのメディアのネッツァーかオベラートかの論争と取材合戦に調子は上がらなかった。チームは1次リーグでチリに勝ち(1−0)オーストラリア(3−0)を破ったが、東ドイツに敗れる(0−1)という番狂わせを演じ、第1組の2位となって2次リーグB組に回る。
 ミュラーも必ずしも好調とはいえないが、対オーストラリアの3点目を決めた。左からのへーネスのCKをニアポストで捕えたもの。ジャンプのタイミングはパーフェクトだった。
 東ドイツに敗れたことでチーム全員に気合が入ったのか、2次リーグでは西ドイツは生まれ変わり、ユーゴ(2−0)スウェーデン(4−2)ポーランド(1−0)を撃破して、この組のトップで決勝へ進んだ。ミュラーは対ユーゴ戦で2点目を決めて勝利を確定的にしたが、このゴールは、右からヘーネスがペナルティエリア内に進入してグラウンダーのパスを中へ送り、相手DFカタリンスキーとミュラーがこのボールを奪って両者転倒、ミュラーが自分の右にこぼしたボールを倒れたまま上体を起こして右足でシュートしたもの。彼の異能ぶりの出たゴールだった。
 対スウェーデンの4−2のゴール奪取戦で彼の得点はなかったが、エリア内でDFを背にしたミュラーのプレーが2ゴールにつながった。


苦戦を打開、ポーランドへの一撃

 豪雨でキックオフ時間を遅らせた対ポーランド戦は大苦戦だった。マイヤーの好守に救われたが、唯一のゴールはミュラーだった。エリア内にドリブルで侵入したボンホフにシマノフスキが潰しにいき、足に当たったボールがミュラーのところに転がった。こういう不意のチャンスは案外、点にならないものだが、これを外すようでは年間40や38も得点できないことを、ミュラーは大舞台でも証明した。
 決勝の前の予測の多くは、オランダだった。私はオランダが見事な展開を見せながら決定力がないことと、ミュラーの不思議な得点力をにらんで、西ドイツに勝機を見た。結果はミュラーの反転シュートが決勝ゴールとなった。
 昨年、彼がこのゴールについて尋ねられたとき「ボールが弾んで体から離れたのだが、幸いなことに私が誰よりも早く反応しボールを蹴ってファーポストの方へ決めることができた」と答えたそうだ。決定的な瞬間に、狙ったとおりにゆかなくても、それに反射的に体が動くことが彼の最大の武器であったといえる。
 この対オランダ2点目の組み立てについて、すでにサッカーマガジン(月刊の頃)誌上でも紹介したが、右サイドをグラボウスキーを経由してボンホフがドリブルで突進するとき、自分のポジションに入るためのミュラーの動きをビデオで見ると面白い。そこに本能や反射神経とともに、彼の工夫もあるように見られるからだ。
 バイエルンで指導者となった彼がどのようなアドバイスをしているのかを知りたいものだ。


(週刊サッカーマガジン 2005年10月18日号)

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