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サッカー 故里の旅 第3回 30年前の栄光の回顧とサッカー経済の大成長
「ネッツァーさん、私は1969年にあなたがボルシア・メンヘングラッドバッハとともに来日したときに会いましたヨ」
“アンビリーバブル”
という彼のやさしい表情と、今度の大会はスイスの放送局のコメンテーターをしているのだという言葉を聴きながら、そこにいた周囲の人が誰一人、あの、ギュンター・ネッツァーに気がつかないところに年月を感じた。
96年6月9日午前11時、ロンドンのヒースロー空港――。大会第2日のグループC、ドイツ対チェコを見るため、マンチェスターへのBA(英国航空)4452便の搭乗手続きを済ませていた。
ネッツァーのカーブ・パス
ギュンター・ネッツァーといえば西ドイツの小さな鉱山町のクラブ、ボルシア・メンヘングラッドバッハを、1960年代から70年代はじめにかけて、西ドイツのトップチームに仕上げたバイスバイラー監督の秘蔵っ子。あのベルティ・フォクツ(現・ドイツ代表監督)とともに、ベッケンバウアーやゲルト・ミュラーのバイエルンに拮抗していた。
彼の特長はボールキープと、ロングパス、フックのかかった見事な長いパスが、ゴールへ突進する仲間の前にピタリと合うところは芸術的といえた。
1972年の欧州選手権準々決勝で、ウエンブリー・スタジアムに乗り込んだ西ドイツは、3−1でイングランドに完勝するのだが、そのときがネッツァーの西ドイツ代表としての最も華やかなときだったから、イングランドのサポーターにとっては、忘れられない一人のハズだった。
スペインのレアル・マドリードに移った彼は、74年W杯では出番はほとんどなく、オランダとの歴史に残る決勝もベンチに入らずスタンドで観戦したのだった。
お伴もなく、一人ですたすたと搭乗口へ入って行くネッツァーの後姿が、ずいぶん小さく見えたのに驚いた。
足が大きく、サイドキックしか使わないといわれていた彼は、当時は背も高く見えたのに……。
タイムズ紙の66年特集
マンチェスターに向かう機内で持ち込んだ新聞に目を通す。なかに6月8日付けのザ・タイムズの別冊、52ページのタブロイド版“マガジン”があり、1966年の特集だった。
イングランドでの66年、第8回ワールドカップはサッカーの母国が開催国の名誉にかけて、初めて優勝した記念すべき大会だった。
リバプールからビートルズが生まれて世界中をひきつけた60年代は、隣のマンチェスターのユナイテッドが68年の欧州チャンピオンズ・カップを制し、またラムゼー監督のナショナルチームが世界の頂点に立った輝きに満ちた年代だったから、今度のEURO96の開催にあたって、30年前の栄光を回帰するのは当然だろう。
そのときのウエンブリーの決勝の相手が西ドイツ。W杯史上初の延長の末、4−2で勝ったのだった。
イングランドはボビー・ムーアやボビー・チャールトン、ジャッキー・チャールトンの兄弟、GKにはゴードン・バンクスがいた。
ドイツにはウーベ・ゼーラー、若いベッケンバウアーやオベラーツたち。このとき観戦した日本代表チームの団長だった竹腰重丸さん(協会理事長・故人)は、その壮大なドラマの観戦記を協会機関誌に記し、その試合前夜は、町に若者の歌声があふれ「開戦前夜のような緊迫した空気だった」と伝えた。
W杯と並ぶ今大会
66年のワールドカップは16チームの参加だったから、現在と比べて規模も小さいが、それでも全32試合の入場者合計が150万人、テレビで決勝を見た人は4億に達する新記録だった。
30年後の今度の大会の数字は、テレビ放送194ヶ国(94年W杯より6ヶ国多い)テレビを見る人は69億人。入場者数は140万人、入場料収入は1億2500万ポンド(1ポンド=166円)。テレビ権利金や商品化などを合わせると66年W杯に比べると60倍の収入になる(大会会報から)。
タイムズの特集は66年の代表一人ひとりのその後に触れているが、サッカーに関わっていない人も半分いる。
マーチン・ピータースとジョフリー・ハーストが共同して自動車保険の仕事をしているのは、ウェスト・ハム時代からの仲間だからか。そのウェスト・ハムでも代表でも主将だったボビー・ムーアが93年に亡くなったのは、読者の皆さんもご存知だろうが、大会のボーナスは彼の主張で全員一律に分配された。総額2万ポンドだったから、ひとり1000ポンド、他に出場手当てが1試合60ポンドずつあったが。
これを現在のプレーヤーに例えれば、今年二冠になったマンチェスター・ユナイテッドが200万ポンドのボーナスを出し、選手は一人10万ポンドずつ受け取ったこと、そして、日常の報酬はたとえばスターのカントナであれば、毎週(試合出場の有無に関わらず)1万ポンドを得ているという。
30年を振り返れば、その栄光とともに、その後の、特に、現在のイングランドのサッカー経済の大成長を知ることになる。
その経済と同じように、プレーヤーの技術やチーム戦術も大進歩したかどうか――それはこれから見ることになるだろう。「間もなくマンチェスター」のアナウンスとともに機は下降に入った。
(サッカーマガジン掲載)