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サッカー 故里の旅 第5回 チェコの変動の歴史とダニュービアン・スタイル

 いよいよアトランタ。サッカー少年だった頃も、若い記者時代も、オリンピックは大きな目標だったから、古希をこえても五輪のマークには格別の思いがある。28年ぶりに参加する日本サッカー代表が桧舞台で“日頃の力”以上のプレーをしてほしいものだ。
 さて私の「EURO96」は前号で決勝に触れたが、この号から再び旅の前半に戻り、サッカーの母国での「世界で三番目に大きなスポーツイベント」(英国、メジャー首相)をじっくり反芻してゆきたい。今回は大会第2日のオールド・トラフォードから。


チェコのボールキープ

 赤いユニフォームのチェコの選手たちの練習、ゆっくりキープし、ステップを踏み、ターンをする。彼らの持ち方を見ていると、伝統的なダニュービアン・スタイルのサッカーが見られる、と嬉しくなる。
 1996年6月9日、マンチェスターのオールド・トラフォード、午後5時開始のC組ドイツ対チェコの試合前、私は両チームの練習を見ながらワクワクしていた。
 日本のスポーツ好きには体操のチャスラフスカや“人間機関車”ザトペックで親しまれるチェコ・スロバキアは93年にチェコとスロバキアに別れ、今度はチェコ共和国としての最初の大きな舞台での試合だった。
 第1次大戦でドイツ側に立ち、敗れたハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国が瓦解した後、その領間にあったチェコとスロバキアが合体して、ひとつの議会制民主主義の共和国を作ったのが1918年。それからナチスドイツの侵略、ソ連の社会主義体制下の抑圧などの時代を経て、ようやく、新しい時代に入ったのだが、同じスラブ系でありながらチェコ語とスロバキア語(どれほどの違いかは知らないが)を話す地域、西と東に分かれることになったのだ。


建国以前のサッカー史

 その事情はよく分からないが、もとの国の人口も国土もほぼ3分の2がチェコ、残りがスロバキアというところらしい。1000万人のチェコの1部リーグは16、500万人のスロバキアは12チームで行なわれているが、彼らのサッカーの歴史は1918年のチェコ・スロバキア建国よりも古く、1880年代、つまりハプスブルク王家華やかな頃に、プラハにはいくつかのクラブがあった。今も有名なスパルタ・プラハは1893年の創立、スロバキアの首都ブラチスラバにあるスロバン・ブラチスラバも1919年と、我が日本協会の誕生よりも前からある。
 協会の創立は1901年。1906年にはFIFAに加盟し、1908年のロンドン・オリンピックに参加した。1930年代には中部ヨーロッパのサッカー強国といわれ、1934年のイタリアW杯では開催国イタリアに接戦で敗れ、ランナーズアップの栄誉を担った。
 社会主義体制となってからもサッカーの水準は高く、オリンピックは上位の常連。W杯でも62年チリ大会でブラジルに次いで2位の栄誉。
 英国人記者は彼らのプレーをドナウ河にちなんで「ダニュービアン・スタイル」と呼び敬意を払った。イングランド式のロングパスでなく、短いパスとボールテクニックを基調とし「ボールを相手から奪えば2人3人と集まりボールをまわす。それは、どこかのレストランで誰かが音楽を奏すると
、人々が立ち上がり、手を組みダンスを舞う――その楽しさに似ている」(デットマール・クラマーの話)。パスのやり取りを展開し、攻めに入ってゆく。闘争的というより技術的、リズミカルなサッカーは早い時期から高く評価されていた。


体でカバーするボールキープ

 私たちは1964年の東京オリンピックで2位となったチェコ五輪チームにその一端をうかがい、60年代のスター、マソプストとともに来日したデュクラ・プラハからその楽しさと強さを知った。1976年に欧州選手権でベッケンバウアーたちの西ドイツを決勝PK戦で破って優勝したチェコ代表を残念ながら見ていないが、その次の「EURO80」の開幕試合で、ドイツを苦しめたチェコを見ることができた。
 ある時期、チェコは、ボールキープはいいが全体にスピードに欠ける、と言われていたのが、80年は、ゆったりしたペースから突然に最前線へ送られるロングパスが、緩から急への切り替えになっていた。このロングパスを受けるFWが、相手の追走、接近に対し、体をボールと相手の間に入れるスクリーニングでボールを持ちこたえ、第2列のフォローの“間(ま)”を作るところに興味があった。
 それは、かつてロクさん(高橋英辰=たかはしひでとき・元日本代表監督)が「チェコの代表チームの練習を見ていて、体でカバーする持ち方に、賀川太郎(私の兄)を思い出した」と指摘したチェコの特徴と符合していた。90年のW杯で同じ傾向を見た。その“持ちこたえる”キープはFWだけでなく、MFもDFも上手なのが面白かった。
 スタンドからの大歓声――。
 選手たちが入ってきた。その姿を眺めながら、初めて西ドイツ対チェコ・スロバキアを取材した80年に比べ、両国の国のかたちが大きく変わっているのにあらためて気付くのだった。
 まことにヨーロッパの国や政治は変動また変動だが、その社会の変革の中で、サッカーは消えることはない。クラブは市民に根を下ろし、クラブチームを基盤とするナショナル・チームは民衆の支持を受けて国際舞台での平和の戦いを展開するのだ――。
 両チームの選手たちの表情を高いスタンドの記者席から双眼鏡で覗きながら、私は、ヨーロッパとヨーロッパのサッカーの深さを思うのだった。


(サッカーマガジン掲載)

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