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サッカー 故里の旅 第8回 古くて新しい町ニューキャッスルで 94年のルーマニアと98年のフランスが対決

 グループリーグで、私たちのアトランタは終わりました。選手たちは素晴らしい財産を身につけたことでしょう。
 さて、私のEURO96の旅は、ニューキャッスルのセント・ジェームズ・パークでの試合直前の話です。
「94年のメンバーとほとんど変わっていない、いや、90年組も6人残っている」メインスタンドのルーマニアチームを眺めながら、馴染みのある名前を数えた。96年6月10日、午後7時20分、ニューキャッスル・ユナイテッドのホーム「セント・ジェームズ・パーク」スタジアムで、欧州選手権グループリーグのルーマニア対フランスが始まろうとしていた。
 6月8日の開幕試合で、イングランドがスイスと引き分けたのをウエンブリーで見た後、次の日、マンチェスターへ飛び、オールドトラフォードでC組のドイツ対チェコ(2−0)を取材し、月曜日の朝の飛行機でニューキャッスル・アポン・タインにやってきた。
 ケビン・キーガンが監督に就任してから急速に力をつけ、昨シーズンもマンチェスター・ユナイテッドとプレミアリーグの優勝を争ったニューキャッスル・ユナイテッドは、イングランド北東部きっての人気チーム。27万市民の誇りで、町を行く若者には黒と白の縦縞のユニフォームが圧倒的な人気だ。
 この町の起源は、古代ローマ時代に当時ローマの属領であったブリタニア(今のイングランド)を北方のケルトから守るために、タイン河の岸に城を築いたころからという。この町から西のカーライルまで117キロ、今も残るハドリアン・ウォールという“長城”は西暦122年にローマのハドリアヌス帝が、防衛線として築造を命じたという。その東端にあるのがニューキャッスルだが、新しい(ニュー)城(キャッスル)という町の名は、古代ローマの城跡に、紀元1080年、ノルマン朝のウイリアム征服王の子ロバーツが新しい城を設けたのに由来する。“新しい”が900年前の話というのがいかにもイングランドらしいが、この日、そのニューキャッスルのスタジアムで試合をするのが、バルカンに住みついたローマ人の国ルーマニアと、新しい城を作ったノルマン朝を生んだフランスというのも、なにやら因縁めいている。


86年のトヨタカップからの上昇

 ルーマニアのサッカーは欧州チャンピオンズカップ(現・チャンピオンズリーグ)でステアウア・ブカレストが優勝するまで、東ヨーロッパでは、ユーゴスラビアやハンガリーに比べて国際評価は低かった。
 1986年5月7日、ステアウアがスペインの名門バルセロナと戦って0−0で引き分け、PK戦で勝利を握った。当時はまだチャウシェスク政権下、トヨタカップのときの来日でもドル節約のためにルーマニアの空軍機に乗ったほど。対リバープレート(アルゼンチン)の東京決戦はアルゼンチンの抜け目ない“早めのFK”から1点を失い0−1で敗れたが、若いリベロのベロデディチや右サイドのラカトシュのドリブルなどにスタンドは驚いたものだ。
 そのラカトシュたちは90年イタリアW杯のグループリーグでいきなりソ連を2−0で撃破し、カメルーンには1−2で敗れたが、マラドーナのアルゼンチンと1−1で分け決勝ラウンドへ進出、アイルランドと0−0の後PK戦で敗退した。


海外経験が代表強化

 1965年2月5日生まれのゲオルゲ・ハジもこのときに世界の舞台に登場した。その前年チャウシェスク政権が倒れ、社会主義体制が崩れて、ルーマニアのサッカー界もまた海外への移籍規制が緩む。ステアウアにいたハジは90年にレアル・マドリードへ、ルペスクもドイツへ。
 こうした海外でのプレーは、彼らの年齢が若かっただけに新しい経験となり、その技術向上が94年のW杯米国大会出場にも貢献した。
 グループリーグA組でルーマニアは初戦でコロンビアに完勝(3−1)第2戦は落とした(1−4、スイス)が第3戦はホスト国USAを退けた(1−0)。優勝候補とまでいわれたコロンビアを破ったのはハジとラドチョーユのコンビ。小柄なハジの左足のパスはサッカーの面白さを米国のファンにも知らせたのだった。決勝ラウンドの1回戦で彼らはマラドーナのいないアルゼンチンに、シーソーゲームの末3−2で勝った。堅く守って、カウンターから鋭いスルーパスを通すパス攻撃の成功だった。次の準々決勝ではスウェーデンと2−2の後PK戦で敗れたが、2度のW杯での活躍によってルーマニアは、ユーゴスラビアやかつてのハンガリーなどと同じように、そのボールテクニックと戦術に敬意を払われるようになり、トップ選手はスペインやイタリアのリーグで高額の報酬を受けるようになった。
 今度のチームには94年代表が9人。W杯の中間年の欧州選手権で、各国代表の次の素材を見るのを楽しみにしてきた私には、いささか新味に乏しい。もちろんルーマニアとすれば、現在のベストメンバーで欧州のタイトルを狙うという意義はあるにしても、スターティング・ラインアップの11人のうち30歳以上が4人、28−29歳が4人、26−27歳が3人という構成は、短期に試合の続く大会にどうだろうか。
 一方、ノルマンの国の代表は――。ジャケ監督が、今をときめくカントナ(マンチェスター・ユナイテッド)を加えずに編成したチームは30歳以上が4人、28−29歳が1人、26−27歳が2人、24−25歳が4人と、こちらはもう少し若い。
 両チームの顔ぶれからの私の夢想はクルク主審の笛で破られた。94年のルーマニアか、98年のフランスか――。96年の中間年を象徴するゲームが始まった。


(サッカーマガジン掲載)

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