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ベルリンでのGK佐野理平氏の神ワザの秘話

日本サッカー50年『一刀両断』第2回
聞き手 賀川浩(大阪サンケイスポーツ)


川本 今の日本のサッカーでは、ゴールキーパーが一番遅れているんじゃないかナ。昔に比べても劣っているような気がするんだが……。

――“サッカーは変わっていない、進歩しているんだ”というのがクラマーの説でしたが、日本のゴールキーパーは進歩していませんかネ。

川本 テレビで見ていると守りにしても、ボールを取ってからの攻撃(のためのパス)にしても、進歩しているとは思えんネ。

――戦前では名ゴールキーパーといえばベルリンの佐野理平さんですネ。

川本 ボクが知っている範囲ではネ。古い人では斉藤才三さん(昭和5年極東大会日本代表)が上手だったという話は聞いているし、他にもいるだろうが、ボクが知っている年代からはやはり佐野だろう。佐野より少し年が下で慶応に津田幸男がいた。佐野はベルリンで活躍したんだが、彼は、もともとファインプレーをしない男でネ。ボールはたいてい体の前で取っていた。

――フットワークと読みがいいわけですネ。

川本 そう。横へ動くすり足がよかった。自分とゴールとの関係なんかも、前を向いたまま、後ろ手で、ポストにさわって位置を確認し、ゴールラインと、自分の位置との関係を、いつもきっちり掴んでいたネ。彼はベルリンでは、まことに神ワザともいえる働きをしたが、それにはちょっとした裏話がある。


レフェリー保護が神ワザを生んだ

――1936年のベルリンオリンピック大会、優勝候補のスウェーデンの攻撃を2点に抑えた(3−2で日本が勝つ)殊勲者・佐野理平さんの……。

川本 佐野は上手で背が高いのにロビングに弱かった。それはチャージに弱かったからなんだ。当時のキーパーは、ぶつかられ、蹴られ、それは、哀れなものだったからナ……。

――そうですね。キーパーを痛めつける、というのがひとつのテでもありましたネ。

川本 高いボールをキャッチする、パンチするときに、体が伸びる、そこへ、相手のFWが飛び込んでぶつかるのだから、たまったものじゃない。同じころ早稲田のキーパーをやっていた不破整は体も頑丈で、キーパーチャージにも強かったので、国内での大学リーグは不破が出ていた。たしか、前年の早慶戦も不破が出場したと思う。そんなチャージに弱い佐野だったがベルリンへ着いて練習試合をしてみると、日本と違って、ゴールキーパーがボールを持つと、全くチャージに来ない。ちょっとでも体にふれると主審はすぐピーッと吹いて、注意する。ボク達の連中も、こらキーパーにさわったらあかんぞ、と言い合ったものだが、このキーパーの保護で佐野が生き返った。

――レフェリーの笛で完全に保護されて、チャージされない。ぶっ倒されない、となるとボールに専念できる、そこで技術が生きてくる……。

川本 キーパーチャージといえば、スウェーデン戦の前半にボクがシュートしたんだ。スウェーデンのゴールキーパーが倒れて右手を伸ばして止めた。そのボールをボクが走って行ってキックした。そしたらレフェリーが飛んできて、すごい剣幕で怒るんだ。

――つい日本のクセが出たわけで……。

川本 止めたボール上に手がちょっと乗っていただけなんだ。ほんとなら、それで前半に1点取っているところなんだ。

――前半に1点取り損なったけれど、レフェリーのそのキーパー保護が、佐野さんの神ワザを生んだんですネ。

川本 そうだ。すっかり自信をつけてネ。あれは、ほんとに神ワザのようだった。その佐野の良いところは、守るだけでなく、ボールを持ったらすぐフィードすることだった。すぐドロップキックで味方へ渡した。

 彼がキャッチした瞬間に、周囲を見る。そのときに、こちらも彼の方をチラッと見ると、すぐドロップキック(ハーフボレー)でいいタマがきたヨ。そういえば、佐野はプレースキック、ドロップキックの練習をずいぶんやっていたなあ。

――今はゴールキーパーがボールを取ってからの処理が遅いですネ。

川本 だから今のサッカーでゴールキーパーは遅れとる、というんだヨ。

――そういえばドロップキックで、速いライナーのパスが、ゴールキーパーから、味方へ渡る、というシーンも、すっかり見なくなりました。投げるばかりで……。

川本 投げるのもよいが、どうしても放物線を描いて、味方に渡るタイミングが悪くなるんだヨ。ドロップキックでやってごらん、ずっとうまくゆくから……。投げるという点では、不破は遠投した。ハーフラインくらいまで投げていたヨ。ともかく、ゴールキーパーがボールを取ったら、いっぺん、そこで中休み、みたいなサッカーは嬉しくないネ。

――日本リーグの試合で、ヤンマーの釜本が味方のゴールキーパーに、ボールを取ったらすぐ味方へ渡せ、と怒鳴っていましたヨ。

川本 佐野より少し年齢の下の津田幸男もキック力があった。彼はバネがあり、敏捷で、キーパーチャージにも強かった。惜しいことにベルリンのような大舞台がなかった。

――関西では?

川本 ボクらよりちょっと上に京都大学に金沢宏がいた。すらりとしたヒラメキのあるゴールキーパーだった。昭和9年のマニラの第10回極東大会ではものすごい働きをした。昭和8年だったかの東西学生王座で早稲田と京大とが当たったときも、金沢さんはコーナーへいくシュートをみな取ってしまう。一計を案じて足下へ蹴ったら、それが点になった、という記憶がある。とにかく、当たりだすとちょっと点の取れないキーパーだったネ。


ゴールキーパーは横への動きが大切

――戦後はどうでしょう。

川本 戦後ボクが代表を指導していたときにゴールキーパーは埼玉の松本、教育大を出た村岡、広島の渡辺、関学を出た生駒、関大の古川と5人いた。結局、一番ヘタな古川がメルボルン(1956年)の日本代表になった。古川はボールに食いつくという気持ちが群を抜いていた。それがバネがないとか、硬いとかいう肉体的ハンデを克服した。

――ゴールを守るということで彼は素晴らしかった。

川本 その彼に強調したのは、ボールは体の正面で取れ、いつもゴールラインにいろ、という2点だった。

――体の正面で取るためには横の動きが大切ですネ。

川本 そう。それとゴールラインに立つというのは、やたらに前へ出るな、ということだ。前へ出ればシュートの角度は狭まるだろうが、キッカーの足下からゴールキーパーのそばへボールが来るのに、5メートル前へ出れば、それだけ1秒の1/10くらいは早くなる。0.1秒で手で防げるところが防げなかったり、横へ一歩動く余裕がなかったりする。

――その時間のことをもっと考えろ、というわけですネ。

川本 これは前にも言ったと思うが、あくまでゴールキーパーは横への動きが大切で、そしてゴールラインが、その発進の起点になるというわけだ。ともかく、今はゴールキーパーはルールで保護されている。ベルリンの佐野は、現地へ行ってから保護されたが、今は始めからそうだ。
 保護されて過保護で上手にならぬという見方もできるが、それはおくとして、プレーに専念できる(チャージから保護されている)いまのキーパーは、もっと上手にならないかん。バネをつけるためにつま先で歩いたり、横へのすり足をやったりするのは、昔も今も変わりなく、いつ、どこでもやれることなんだから。


(イレブン 1976年2月号「日本サッカー50年『一刀両断』」)

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