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1930年ウルグアイW杯「サッカーのおもしろさを世界に伝えた」

1930年、ウルグアイのモンテビデオで開催された第1回ワールドカップでも、アルゼンチンは決勝に進出し、ウルグアイと顔を合わせ2対4で敗れた。アルゼンチンは1次リーグで3戦全勝、準決勝は第4組1位のアメリカを6対1で破るなど好調だったが、モンテビデオでウルグアイを破るのは至難だった。しかし、このラプラタの決戦は、アルゼンチンから多数のファンが船で乗り込んだことやウルグアイとアルゼンチン双方の熱狂ぶり、そして選手達の技術の高さなど、ヨーロッパの記者達に強い印象を与えたことが、そのまま欧州の新聞に反映し、改めてサッカーの面白さと、世界性を欧州人に認識させたのだった。
ラプラタの決戦は、ある意味ではワールドカップを定着させ、サッカーを世界のものにする大きなステップだったといえる。アルゼンチンは、南米でもっとも早くクラブを創り、協会を設立して国際試合を行うなど、第一次大戦後の経済の発展とともに、南米サッカーの前進のトップに立っていた。いわばラテン・サッカーの本流と自負 しながら、世界の桧舞台のタイトルは取れないままに50年が過ぎていったが、それでもアルゼンチンは、サッカーがエキサイティングで、かつ技巧的な競技であることを世界にアピールし、浸透させるのに大きな力になった。
(サッカーダイジェスト1989年1月号より)

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