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1974年西ドイツW杯「西ドイツで見たケンペスたち」

1970年メキシコ・ワールドカップでブラジルが優勝し、世界のサッカーは芸術的、技術的それでいてエキサイティングなサッカーの楽しさに酔った。1974年の西ドイツ大会は、オランダのトータル・サッカーという新しいテーマがファンの心を捉え、西ドイツの職人芸の攻守とともに深い感銘を与えた。しかし、アルゼンチンは70年メキシコには彼らの歴史で初めて地域予選で敗れ、74年は西ドイツでの本大会に進めはしたが、二次リーグで退いた。
アルゼンチン代表チームの試合を、私が初めて見たのは74年大会だった。64年の東京オリンピックのアマチュア代表とは、さすがに、テクニックも身のこなしも、スピードも上だった。足のウラ(ソール)を多用しヒールを使うこと、密集の中を好んで突破し、狭いスペースに短いパスを通そうとする彼らの、いささか不合理にもおもえるプレーに、なんともいえぬ魅力を感じたものだ。ブラジル選手の中には、ぺレやカルロス・アルベルト、ジャウマ・サントスなど、黒人特有のしなやかさやバネといった、欧州人にまねできない資質を備えたプレーヤーがいるが、アルゼンチンのほとんどの選手は、イタリアやスペインやドイツなどの移住者。つまり欧州人の二世 や三世たちだ。いわば肉体的には、ヨーロッパとあまり変わりのない人たちのプレースタイルがこれほど違うとは…。
守りのコンビネーション、攻から守への切り変えの遅いこと、そして、攻撃局面の狭いことなどの戦術と、明らかな、そのための合同練習の期間の少なさからくるミスから、上位に進むことはできなかったが、私には74年のヤサルデ、アヤラ、パビントンたちから受けたショックは忘れることはできない。この大会で19歳のマリオ・ケンペスを知ったのも幸いだった。長身で、ボサッとして見える彼が、相手の守備ラインの裏へ、ズカズカと入り込んでくるのが面白かった。
(サッカーダイジェスト1989年2月号より)

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