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タレントの宝庫そして、選手の“輸出国”

1989年12月11日のトヨタカップ。試合後に、外国の記者が質問した「ナシオナルの選手たちは、今日の桧舞台の勝利で世界に認められたが、それによって、またウルグアイから優秀なプレーヤが、欧州など外国へ散ってゆくのではないか」これに対して、ナシオナルのフレイタス監督は「いい選手が外国へ行くというのは、それだけウルグアイの経済のためにも外貨を稼ぐことにもなり悪いことではない。私たちの国は、サ ッカー選手の輸出国といわれているのですヨ。」とさらりと答えた。
ウルグアイとともにアルゼンチンがサッカーのタレントの宝庫であり、“輸出国”であることは、すでに述べたが、1977年から20歳以下のワールドユース大会が2年ごとに開催され、若い素材に世界中の専門家の目が注がれるチャンスが増えたから、いっそう、タレント流出が激しくなっているようだ。
アルゼンチンの知人の話によると、今外国でプレーするアルゼンチンのサッカー選手はざっと200人。近い南米のコロンビア、ボリビア、チリ、エクアドル、ペルー、パラグアイ、ベネズエラを始め、南米のエルサルバドル、メキシコ、グアテマラから、ヨーロッパ、そしてアジアの日本など、19ヶ国に広がっているという。
その海外組の筆頭がディエゴ・マラドーナ(ナポリ:イタリア)、1960年10月30日生まれ。今年の誕生日で万29歳となる彼は、1986年6月のメキシコ・ワールドカップでアルゼンチン代表のキャプテンを務め、チームを率いるとともに、自ら5得点をあげる活躍でアルゼンチンに優勝をもたらした。彼の才能について、彼の人間性に ついて、彼の富について、すでに多くが報道された。私もずいぶん多くを語ったが、彼について書くたびに彼のプレーを思い起こし、その一つ一つのプレーを見直せば、いつも新しい発見があり、マラドーナに接するたびにいつも感銘を覚えることになる
(サッカーダイジェスト1989年3月号より)

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