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1986年メキシコW杯「代表チーム監督に就任したビラルド」

1986年6月2日、W杯メキシコ大会、Aグループのアルゼンチン対韓国で、久しぶりに見たマラドーナは、4年前の彼とは全く変わっていた。バルセロナでの苦難の2年間、ナポリでは2シーズンで25得点をマークしたが、ひざの故障説がW杯の前にうわさされていた。しかし、ボールを止め、小さく浮かせて相手のタックルを軽々とはずすマラドーナにはひざの故障説は消え、韓国選手が連発するファウルに黙々と堪える姿に、彼の内面的な成長を知った。
そしてまた、万全の体調のマラドーナの動き。左タッチラインで走ると思うと、右斜め前へふみこんでくる。自在に動く彼に合わせてチーム全体が流動的に攻めを展開する。日本と対戦するときは固い守りに見えた韓国のDFが、自分のマーク相手を見失い、うろうろし反則を犯すのを見ながら、アルゼンチンが、これまでとは全く異なったチームワークをつくりあげようとし散るのに驚いたのだった。
監督のカルロス・サルバドール・ビラルドは、この時48歳、プロ選手の経験も監督キャリアも十分積んでいた。プロとしてサン・ロレンソ、デボルティボ・エスパニョ ール、エスツディアンデスなどでプレーし、エスツディアンデスの時はリベルタドーレ杯のチャンピオンとなった。1971年、33歳でエスツディアンデスの監督になり、のちにコロンビアのデボルティポ・カリの監督を務め、同国代表チームの監督も 経験する。そして1982年、アルゼンチンに戻ってエスツディアンデスを率い優勝した。スペインW杯、アルゼンチンは2次リーグで敗退し、監督メノッティが退いたあと、1983年2月にビラルドが代表チームの監督に就任した。
情熱家で冷静な医師でもあるビラルドは、なにごとにも打ち込む性格でプロ選手としてプレーしながら医学の勉強をした彼のキャリアに、その忍耐と、やり遂げる意志の強さをみることができる。
(サッカーダイジェスト1989年3月号より)

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