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1986年メキシコW杯「ビラルド監督はマラドーナに託す」

メキシコW杯まで3年と4ヶ月という時期に正式にアルゼンチン代表チーム監督に就任したカルロス・ビラルドは、まずチームの中心をマラドーナと決めた。 海外にいてしかもケガなどで調子のよくないディエゴに賭けるのは、いささか冒険過ぎるように多くの人に見えたに違いない。
ビラルドはマラドーナが単なるボールのテクニシャンでなく、またゲームを読み、攻撃を構成する能力がずば抜けているというだけでないこと、フィールドを離れても人間的に魅力があり、キャプテンシー、リーダーとしての資質を備えていることを見極めていた。しかし、南米予選の段階ではチームは成熟しておらず、薄氷を踏む思いでの突破だったし、ヨーロッパ遠征などでの試合ぶりは、必ずしも熱心なサポーターには満足いくものではなかった。アルゼンチンのマスコミの中には、ビラルドのやり方を非難するものもあり、前監督メノッテイの復活を希望するものも少なくなかった。
そんな周囲の騒音は、メキシコW杯の1次リーグが始まると消滅していった。誰の目にも、チームの一人一人のコンディショニングのよいことは明らかだった。特にマラドーナはヒザに「爆弾をかかえている」といったうわさが信じられないほどだった。第一戦の対韓国でも、実力で上と見られるアルゼンチンの方が、韓国のやり方をよく知って下り、韓国の方が対アルゼンチンの準備不足に見えた。
どんな経験のあるプレーヤーでも、大会の第一戦には不安がつきまとう。ましてワールドカップの大舞台。その第一関門を突破してチームは気分的に落ち着き、フィジカル・フィットネスと戦術トレーニングの成果が次第に出はじめた。
(サッカーダイジェスト1989年3月号より)

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