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74年西ドイツW杯 力強さとやわらかさ

 もっとも2次リーグを見ていくうちにオランダの華麗なパスワークが、実は彼らの力強いディフェンスの上に成り立っていくことが分かってきた。必要とあればかなり手ひどいファウルも平気でやるし、当たりは実に激しい。力強さの点では、むしろ西ドイツより上のようにも見えた。

 オランダのスポーツには一連の力の歴史がある。近いところでは日本にもおなじみの柔道のアントン・ヘーシンク、スピードスケートのシェンク、そしてフィギュアのショーケ・ディキストラというようなチャンピオンを生み出している。

 そしてそれらはいずれも大きくて、力強いチャンピオンだった。女子フィギュアのような一見優美に見える競技の中でも、ディキストラは当時、ストロング・スケーターと称されたものだ。

 こうした力強さの伝統のうえに、クライフのような、天才的なボールテクニックの持ち主が現れ、その影響によって、全体に早さと、やわらかさと弾力がプレーに加わり、クライフを中心として未来への挑戦とも言える、“全員攻撃のローテーション・サッカー”“トータル・サッカー”へ踏み出したのだった。

 いつでもどこからでも、どのプレーヤーも攻撃し、どのプレーヤーも守る。オランダのやり方は、ワールドカップの各代表の中で、一歩進んだものと人々の目に映った。
 もちろん、その新しいものへの挑戦には不安もあった。クライフにあまりに負担がかかりすぎるのだ。それが結局、互角の相手、本当に実力のある相手・西ドイツと当たったときに、新しいものが出せないままに終わった理由といえた。

 さらに悪いことには、空中戦でも、つぶし合いでも、力強さには自信を持っていたこのチームは、リードされていささか冷静さを欠くと、自分たちの「力」を前面に押し出したのだった。

 決勝後半に見せた、あのものすごい速さと力の攻撃に、ウルグアイ戦で見せた、柔らかい余裕が少しでも出れば、彼らは彼らの新しいサッカーを確立できたのではないか。
 1974年の夏の惜しむべきオランダ・ナショナル・チームと、クライフを、一度見た人は、決して忘れることはあるまい。


(サッカーマガジン 1974年10月号)

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