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デンマークと欧州選手権

 フランス人、アンリ・ドロネーの提唱で1958〜60年シーズンに始まった欧州選手権は、はじめのうちホーム・アンド・アウェーのKO(ノックアウト)システムで行なわれ、勝ち上がったベスト4が一つの国に集まって、準決勝、決勝(3位決定戦)を行なう仕組みになっていた。
 第1回の参加国は17、フランスに集まったベスト4はユーゴ、フランス、ソ連、チェコで、決勝はソ連2−0チェコだった。
 ソ連にはGKヤシン、FWにイワノフやブプキンといった日本にも知られた選手がいた。

 次の第2回(1962〜64)は、ベスト4がスペインに集まり、準決勝はソ連3−0デンマーク、スペイン2−1ハンガリー。優勝はスペイン(2−1ソ連)、3位はハンガリー(3−1デンマーク)だった。

 デンマークはこのとき1回戦がマルタ(6−1、3−1)、2回戦がアルバニア(4−0、0−1)、準々決勝がルクセンブルク(2−2、3−3、1−0)と組合せに恵まれてのベスト4進出だった。

 次の第3回から地域予選制となり、8組に分かれてのグループ内リーグで、各組の1位が準々決勝(ホーム・アンド・アウェー)を行ない、準決勝、決勝(3位決定戦)を1ヶ国で行なう形となった。

 この第3回大会準決勝で、イタリアとソ連が0−0の引き分けとなり、トス(コインを投げて裏、表で決める)で決勝進出を決めたが、その場面をテレビ放送で見たファンから苦情が殺到した。決勝もまた同点となり、再試合でイタリアが勝った。UEFA(欧州サッカー連盟)はこれを機に、KOシステムの大会のときは「PKスポットからのキック」によって、次の試合に進むチームを決める、いわゆるPK戦を検討し、1976年の欧州選手権から実施。次いでワールドカップにも採用された。

 地域予選とベスト4の集中大会の方式は、1970−72(優勝・西ドイツ)、1974−76(優勝・チェコ)と続き、1978−80から地域予選を7グループとし、各組1位と開催国が集中する現在の8ヶ国決勝大会となった。そして1980年(開催国イタリア、優勝・西ドイツ)、1984年(開催国フランス、優勝・フランス)、1988年(開催国西ドイツ、優勝・オランダ)と回を重ねて、今度の92年大会となる。

 ミニ・ワールドカップともいわれる8ヶ国決勝大会は、サッカーの本場ヨーロッパのエリートによるトーナメントとして、世界中からマスメディアが集まるようになった。

 この中で84年フランス大会は、優勝したプラティニのフランス代表チームとともに、ベスト4に進んだデンマークが輝いた大会だった。デンマークは2年後の86年メキシコ・ワールドカップでも注目を浴びたが……。続く88年の欧州選手権でも決勝大会に出場しながら、スペイン、西ドイツ、イタリアに敗れ、1次リーグ1組の最下位だった。


(サッカーダイジェスト 1992年9月号「蹴球その国・人・歩」)

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