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第1回日本フートボール大会「高校選手権の起源は大正7年に」

 豊中の大会から一ヶ月遅れて、東京では「関東蹴球大会」(東京蹴球団主催、朝日新聞社後援)が、2月9、10、11の3日間、東京高等師範のグラウンドで行われ、中学校の優勝トーナメントには、豊島師範A、B、青山師範A、B、埼玉師範、明治学院、佐倉中学の6校8チームが参加。豊島師範Aし、模範試合では東京クラブ(大使館員を主とした英国チーム)、中国人留学生、朝鮮青年団、東京帝大、東京高師のA、B、東京蹴球団の計7チームが4試合している。

 また、名古屋地方でも、2月17日に「東海蹴球大会」が名古屋市舞鶴公園で行われ、第八高等学校、明倫中学、愛知第一師範、愛知三中の参加で、八高が優勝している。

 こうしてみると大正7年は、関西、関東、中京でほとんど同時にサッカー大会が始まった記念すべき年。それだけに、すでにこの競技が各地域に広まっていたわけで、「ラグビーだけでは参加が少なく淋しいから、アソシエーション式も加えたら」という発想となったのだろう。大正14年の第8回大会には、甲子園球場(大正13年竣工の野球場)に会場を移し、ア式は中学の部と高専の部に分けたところ、中学(今の高校)チームの参加は22、高専は5となった。次の第9回大会には全国8地区の予選制を取り、中学の全国大会としての形も整い、今の高校選手権の基盤となる。


(ジェイレブ JAN.1993)

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