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全日本選手権のはじまりは、英国から寄贈された銀カップ

 「大正8(1919)年3月12日の東京朝日新聞紙上に、英国蹴球協会からわが蹴球協会へシルバーカップを寄贈する、という記事が出て、カップの写真も載っていた。

 3月28日、大日本体育協会の会長をしておられる嘉納治五郎先生が英国大使館で、そのシルバーカップを受け取った。

 これより前、大正7年に関東にも関西にも、第一回蹴球大会が開催された。関東大会には英国大使グリーン氏が来場されたから、日本の蹴球の様子が英国に伝わり、シルバーカップの寄贈という段取りになったらしい。」(“天皇杯65年史・大日本蹴球協会成立の顛末”内野台嶺より)

 今の高校選手権の前身「第1回日本フートボール大会」が大正7年に始まったこと、同じ年に東京や名古屋でもサッカー大会が行われたことは、前号でも紹介したが、こうした状態を知ったイングランドのFA(フットボール・アソシエーション)が“日本協会の成立を祝い、全国競技大会で優勝したチームに---”と駐日英国大使館を通じて寄贈したものだ。

 第一次大戦(大正3〜7年)が終わったばかりで、大戦中、英国を応援した日本に対する親近感と、極東でのサッカー発展を喜ぶ“本家”の親心のあらわれだろうが、この時、まだ日本にはサッカー協会はできておらず、日本体育協会会長の嘉納治五郎がシルバーカップを預かり、2年後の大正10年9月10日「大日本蹴球協会」(今村次吉会長)を設立。全国優勝競技会の地方予選を10月中に、決勝を11月26,27日に行うと決めた。

 明治6(1973)年英国海軍のダグラス少佐によってサッカーがはじめて紹介されてから48年、また神戸と横浜に住む外人クラブによるインターポートの試合がスタート(明治21年)してから32年、大正6年第3回極東で初の国際試合を経験してから4年。日本のサッカーを統括する組織がようやく生まれた。イングランドの規約を取り寄せ、英国大使館員の意見を聞くなど、関係者はずいぶん勉強したという。


(ジェイレブ FEB.1993)

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