賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >大きなステップを踏み出した日本

大きなステップを踏み出した日本

 さて、初の全国大会の地方予選は、東部は2チーム、中部は3チームが参加。近畿四国、中国九州は予選を行わず、それまでの実績で御影師範と山口高等学校がそれぞれ代表となった。

 東部の予選は11月の19,20、23日の3日間に渡って行われ、東京蹴球団が勝って、代表となり、9月23日の名古屋の試合で、中部の代表は名古屋蹴球団と決まった。

 全国決勝の会場は東京日比谷公園の芝生運動場。長さ58間(105m)、幅38間(69m)のフィールドを取り、ゴールには紅白の布を巻き付けた。

 一番遠い山口高校が、旅費が都合できず棄権したため、11月26日、開会式ののち、準決勝の1試合、御影-名古屋を行い、4-0で勝った御影と東京の決勝を11月27日午後2時から行った。

 晴天、日曜日でフィールドを取り囲む(スタンドはなく立ち見)観客は多かったとか。

 東京蹴球団は、第3回極東大会の参加と、その大敗に刺激された人たちが東京高等師範や、青山師範、豊島師範などの卒業生、元選手に呼びかけて結成したOBのクラブ。山田午郎、露木松雄などが中心で、技術、戦術などで指導的な立場のプレーヤーが多かった。

 御影蹴球団は、御影師範の学生のチーム。年齢は旧制中学より2歳年長という程度で経験は少ないが、大阪・豊中での日本フートボール大会では4年連続優勝しており、この時のチームも前年のチームの4人が残っていた。

 東京が個人技に優れ、ショートパスが巧みであったのに対し、若い御影はロングキックとダッシュを主とし、そのロングキックが正確。若い勢いに東京はたじたじとなる場面もあったが、CKをヘディングした安藤のゴールが決勝点となって老練・東京が初の公式日本一となった。

 開会式では全日本の優勝杯とともにFAカップが大会の名誉会長、エリオット駐日英国大使から山田主将に贈られた。

 英国からのシルバーカップによって始まった日本選手権は、天皇杯へと発展してゆく。第二次大戦中の銀製品供出のため、このカップは今に伝わっていないが、70余年前の英国側の好意と、それに応えた先輩たちの努力で協会が設立され、全国大会が生まれて、日本サッカーは大きなステップを踏み出した。


(ジェイレブ FEB.1993)

↑ このページの先頭に戻る