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1930年極東大会「初の選抜ナショナルチーム」

 昭和5年(1930年)は、ワールドカップがはじめて開催された世界サッカー界記念の年だが、私たちにも、東京での第9回極東競技大会で日本がはじめて1位となった忘れられない年だ。

 フィリピンを7-2で破り、極東の王者・中国を追いつめ3-3で引き分け、ともに1勝1分で同率となり優勝を分けたが、それまでの「出ると負け」を返上したのだから、中国を目標に努力を重ねたのだから、関係者の喜びはどれほどだったか---。私は、このころ活躍した先輩たちが、東京オリンピックのアルゼンチン戦の勝利の時に、あるいはメキシコオリンピックの銅メダルの時に、「昭和5年以来---」と喜び合ったのを見ている。

 日本のスポーツ界は、明治45年(1912年)のストックホルムオリンピックの陸上競技に2人のアスリートが参加して、国際舞台への目を開き、大正2年(1913年)フィリピンの提唱によってスタートしたこの極東大会で力を伸ばした。

 サッカーは東京芝浦での第3回大会(大正6年、1917年)に参加して、力の差の大きいことを知り、第5、6、7、8回と各大会に挑戦をくり返し、第8回上海大会ではフィリピンを2-1で破り、初の国際試合勝利を飾るまでになったが、中国には力が及ばず1-5で敗れている。

 ホームの東京、神宮外苑競技場(現・国立競技場)での大会を控えた日本サッカー協会(大日本蹴球協会)は、上海大会の時から強化策を練り、それまでの単独チーム主体でなく、関東、関西から優勝なプレーヤーを集めたナショナルチームを作ることを決めた。


(ジェイレブ SEP.1992)

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