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1930年極東大会「猛練習と担当による精神統一」

 関東大学リーグ連続優勝の東大をはじめ、早慶、そして西の関学、京大の学生や、OBが選抜され、昭和5年の2月から練習に入り、4月と5月に2度、合計40日の合宿を行った。4月の石神井の練習はとても厳しかった。「大会の華やかな思い出よりも、人に知られない、1カ月のつらい練習の方が、自分にははるかに感銘深かった」とは、篠島秀雄の回想。肉体的な激しさだけではなかったらしい。

 チームの主将であり、コーチでもあった竹腰重丸は毎夜、自室で母堂の遺品の短刀を抜いて注視し、精神統一を図った。同室の後藤は、竹腰の気配におちおち寝てもいられなかった。

 2試合の出場メンバーは、東大勢が主力となり、GKとFBに関学の斉藤、後藤。HBに早稲田の本田が加わっただけだが、個人技の高い中国を相手に、チームワークを重視したためだろう。

 5月25日、第1戦のフィリピン戦は、7-2の大勝だった。カルウオ・フィリピン監督は「個人技ではスコアほどの開きはないが、日本はチームワークで勝っていた」と語った。

 5月27日、中国5-0フィリピン。


(ジェイレブ SEP.1992)

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