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新装の南運動場での中学選手権

 大正7年に豊中のグラウンドで始まった第1回フートボール大会は、大正14年(1925年)の第8回から、中等学校(旧制・今の高校にあたる)と、高等専門学校(旧制)とに分離。大正15年(1926年)の第9回大会から全国中等学校蹴球選手権大会となり、地域予選制を導入して、今の全国高校選手権大会の前身の形が整っていた。そして大会会場は、第8回から第11回まで、甲子園球場、つまり野球場そのものだった。

 これは、野球場を他の競技もできる広さに設計してあったためだが、戦前の古いOBたちの記憶に残る昭和4年(1929年)1月7日の御影師範(兵庫)対平壌高普(朝鮮)の大熱戦は、野球場だったはず。

 新装の南運動場での全国中等学校蹴球選手権は昭和5年(1930年)の1月5、6、7日に行われた。

 上昇期にあった日本サッカーはこの年の5月の極東大会で輝かしい成績を収めるのだが、中学選手権にも京都師範に藤田静夫(前日本サッカー協会会長)をはじめ、神戸一中に右近徳太郎(ベルリン五輪代表)、大谷一二(昭和9年極東大会代表)、市岡中学の川本泰三(ベルリン五輪代表)など、のちに日本サッカーを支える先輩たちが出場していた。


(ジェイレブ DEC.1992)

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