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1936年ベルリン・オリンピック「優勝候補スウェーデンと対戦」


 ベルリン大会といえば、戦中派の私はまず、あの有名なレーニ・リーフェンシュタール女史の記録映画「民族の祭典」と「美の祭典」の荘重なファンファーレと、神殿での採火にはじまる聖火リレーの画面を思い出す。

 ヒットラーのナチスドイツが、その勢力を世界に示す機会として大会をバックアップしたため、運営に政治色が強まりはしたが、ギリシャのオリンピアから会場までの聖火リレーや記録映画の製作といった、新しい企画も生まれた。記録映画には当然、ヒットラーの宣伝という意図はあっても、製作者の力量によって、スポーツという平和な戦いの中での人間の美しさが表現され、芸術的な2部作として公開され、世界中で大きな感動を呼んだ。

 2回戦でイタリアに敗れた日本サッカーは前年ながらこの映画には登場していないから、私はちゃんとした映像で見た記憶はない。しかし、10〜15歳年長の先輩たちから、ことあるごとに聞かされた、「ベルリン」は、自分の体験でもないのに、ごく身近に定着した物語となっている。

オリンピック・サッカー1回戦

日本 3-2(0-2)スウェーデン

日本のメンバーは、GK:佐野理平、FB:堀江忠男、竹内悌三、HB:立原元夫、種田孝一、金容植、FW:松永行、右近徳太郎、川本泰三、加茂健、加茂正五


 早稲田を主力として関東の大学リーグの東大、慶応、文理大(現・筑波大)と韓国(当時日本領)の晋成専門学校の金容植を加えたイレブンは、8月4日、ベルリンのゲズントブルネンのヘルタープラッツ競技場でスウェーデンと対戦した。極東からはるばるシベリア鉄道を通ってやってきた“未知”の日本と違い、スウェーデンは1924年のパリ大会で3位となった実績を持ち、また1912年には第5回オリンピックをストックホルムで開催した、いわばスポーツ先進国。“北欧の巨人”の呼び名の通り、長身、頑健な体格の選手をそろえ、イングランド風のロングパスによる力強い攻撃は、欧州各国から注目され、大会の優勝候補にあげられていた。


(ジェイレブ NOV.1992)

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