賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >ゲルト・ミュラー 〜天賦の才と経験とサムシングと〜

ゲルト・ミュラー 〜天賦の才と経験とサムシングと〜

 小学校の5年生の春に、生まれて初めて公式のサッカーの試合を見た。公式といっても大人のではなく、旧制中学校の大会で、大阪毎日新聞社主催の全国招待大会だった。
 記録を見ると、1935年(昭和10年)4月28、29日となっているから、70年以上前のこと。それほど関心があったわけでもないのに、小5の私が、父・陸蔵(1891〜1944年)に連れられて、神戸の自宅から大阪を通り抜けて花園まで出かけたのは、この年に2歳上の兄・太郎(1922〜1990年)が神戸一中(現・神戸高校)に入学し、サッカー部(当時は蹴球部と呼んでいた)に入ったからである。
 花園ラグビー場でのこの大会の1回戦で浜松一中(静岡)を4−3で破った神戸一中は、準決勝で韮崎中(山梨)を5−4で倒し、決勝で大阪の強豪、天王寺師範とシーソーゲームを演じた末、5−4で勝って優勝を遂げた。
 この決勝を父親とともに応援に行ったのだが、試合の記憶はほとんどない。ただ隣家に住む5年生の金子彌門さん(故人)が縦横に駆け巡るのと、ヒョロリと背の高い一人がどこからともなく現れて、シュートを決めていたことだけは覚えている。
 この人が、チームの主将・大谷四郎さん(1918〜1990年)だった。

 大谷さんについては、昨年の6月まで本誌で連載した『MY FOOTBALL MEMORIES』で06年5月2、9、16日号の「大谷四郎」の項でも触れているが、今回、あえて登場してもらったのは、5−4のシーソーゲームを見た10歳の少年の心に、この競技にあって、ゴールを決めることの重要さが深く刻み込まれたからである。
 ヤンさん(金子彌門さんのニックネーム)たちが走り回り、スライディングタックルし、それでも点を奪われてリードされる。すると、何かのはずみに(選手たちはしっかりパスをつないだというのだが、10歳にはわからない)背の高い人のところにボールが行き、彼が蹴ると、同点に追いつく――そうした繰り返しの末に、最後に神戸一中がリードして終わったのである。
 今風に言えばストライカーの重要性というのか、その人のところへボールが行けば得点になる不思議さというのか――。2フルバック(FB)制でセンターフォワードが今よりもずっと自由にプレーできた頃という条件はあったが、私のサッカー観戦の原風景の一つが、花園の緑の芝生の上でのヒョロリとした大谷さんのプレーであった。

 74年のワールドカップ決勝、試合前の評判は、ヨハン・クライフと彼を中心とするオランダのトータルフットボールに傾いていたが、私は、オランダ代表の素晴らしさと、互角の相手からゴールを奪うということとは、また別物に見えた。そして、ゴール前での得意な能力を持つゲルト・ミュラーのいる西ドイツにも勝機あり――と予想した。結果は、ミュラーの決勝ゴールで西ドイツの優勝となった。
 相手の守りを突破し、ゴールキーパー(GK)という専門の守り手のいるゴールへボールを叩き込むストライカーには、技術や体力や速さだけでなく、サムシングが必要だと思っていたからである。決定的なチャンスに、オランダのヨニー・レップはGKゼップ・マイヤーにシュートを止められたが、ミュラーはシュートチャンスを、自らのトラップミスで一度逃しかけながら、次のタイミングでシュートを決めている。運、不運の分かれ目で片づけてしまえばそれまでだが、そうした決定的シーンをモノにするには、若いレップにはまだサムシングはなく、70年ワールドカップですでに得点王(10ゴール)のキャリアを積んだミュラーには、天分の上に経験が重なって、サムシングがあったはずだ。
 この試合は、もう一人のスーパースター、リベロで西ドイツ主将のフランツ・ベッケンバウアーの存在抜きには語れないが、ベッケンバウアー自身が、折にふれて「ミュラーなしでは74年の優勝はなかった」と言っている。

 この74年大会から始まった“全員で攻め、全員で守るサッカー”は世界に広まり、21世紀に入って、今やJリーグでも、より速く、より激しく、が当たり前のこととなって、どのプレーヤーも攻守兼備が要求され、技術も体格も走力も目覚ましい進歩を遂げている。
 その進歩の上に立って、日本代表は昨年のFIFAワールドカップ2006ドイツ大会に出場したが、3試合で2点を取っただけで敗退した。日本にはゲルト・ミュラーはいなかったのである。
 今年、日本サッカー界は93年のプロ化から15年目のシーズンを迎える。10歳で見た原風景から、当時とは隔絶した環境となった今に至るまで、私が見聞し、伝聞した心に残るストライカーを取り上げ、ゴールハンターを目指す若い仲間、ゴールハンターを渇望するファンとともに、ゴール前の一瞬に思いを巡らすことにしたい。


(週刊サッカーマガジン2007年3月20日号)

↑ このページの先頭に戻る