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カタルーニャはカタルーニャ

 地方意識というものは、日本でもある。関東、関西の東西対抗は、第2次大戦前まで、いや大戦後しばらくの間も、多くのスポーツの発展の基礎でもあったし、全国高校野球の衰えることのない人気は、郷土意識が基盤となっている。もちろん、プロ野球の阪神タイガースや中日ドラゴンズ、広島カープなどは、それぞれの地域の人たちのアイドルとなり、他の地域のチーム(とくに関東地方)との戦いにファイトを燃やす。

 ドイツやフランスなどのサッカーも同様だが、スペインの場合は、同じ国のなかでありながら、まるで国と国の対抗意識のように強まっている。
 それは他のヨーロッパ諸国と違い、スペインのそれぞれの地方の景観や気候が全く異なり、語る言葉も違う―――といった背景があるようだ。

 1970年のスーパースター、ヨハン・クライフは、母国オランダのアヤックスから、スペイン・カタルーニャのFCバルセロナに移り、チームを優勝に導いたとき、それまでレアル・マドリーに押さえられていたバルセロナのファンは、彼を「エル・サルバドール(救世主)」と呼んだ。
 後に、クライフに聞いたところでは、「カタルーニャ人は、カタルーニャはカタルーニャであって、スペインではない、と思っています。そして、FCバルセロナは、カタルーニャ人の象徴です。だから、彼らはFCバルセロナがカスティジャ地方のレアル・マドリーと戦うとき、バスク地方のアスレティック・ビルバオと戦うとき、いつも応援に力が入るのです。わたしの子供たちも、バルセロナにいる間にスペイン語とカタルーニャ語を両方話すようになりました。」とのことだった。

 FCバルセロナは巨大なスタジアムと10万人の会員をもつ大きな組織のスポーツクラブだが、その経営力でも、クライフやマラドーナのような高額プレーヤーの移籍料を払い、雇い入れるのは大きな冒険といえる。それをあえて行なうのは、地方意識「カタルーニャのために」が根になっている。
 レアル・マドリーの1960年代の欧州制覇も、まず国内でNO.1になるための強化から、次のステップへ上がっていった。


(サッカーダイジェスト 1989年4月号「蹴球その国・人・歩」)

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