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第47回 デットマール・クラマー(3)指導とスピーチに90ヶ国を巡る傘寿の大コーチ

カメラに収まり、サインに応じ

 11月11日に来日したデットマール・クラマーは、12日から16日までの5日間に、東京と神戸での合計3回のシンポジウムでスピーチし、NHKをはじめ3件のインタビューに応じ、また味の素スタジアムでのJ1(東京V対C大阪)と、国立でのキリンチャレンジカップ、日本対アンゴラの合計2試合を観戦した。
 ドイツのフランクフルトから成田まで12時間の長いフライト、フランクフルト−ミュンヘン(約1時間)の飛行を考えると、日本流にいえば傘寿(さんじゅ)の熟年にはいささか強行日程で申し訳なかったが、彼は気にかけた風もなく、ミュンヘン空港から自宅までは? の問いに、空港においてある車を自分で運転して帰る。110キロくらいだが、道路(雪など)の様子によっては150キロくらいを走ることになる、と、こともなげに答えていた。
 今回のシンポジウムには、若いサッカー人、サッカー好きが集まった。直接にクラマーの顔を見、話を聞いただけでなく、一緒に写真に収まり、サインをしてもらった人も多かった。その様子を見ながら、45年前の炎天下の講習会の後で、サインをせがむ子どもたちを木陰へ誘導して、並ばせて丁寧に応じていた姿を思い出した。35歳でも80歳でも、この人のサッカーへの情熱と、サッカー仲間への愛情は変わることはないようだった。
 ここしばらくの彼のスピーチで「効果的」という言葉を耳にすることが多い。サッカーという競技がゴールを奪い、自分たちは点を取られないようにするものだから、まずゴールを奪うことが大切。いくら、いいパス攻撃を見せても、ゴールを奪えなければ効果的ではないという。
 そのためには、試合でなぜ点が取れないかを分析し、それを練習で改良してゆくことが必要だという。シュートの練習をする場合に、ペナルティ・エリアの外、つまりゴールから17〜20メートルくらいのところにコーチが立っていて、選手にボールを渡し、シュートさせているのを見るが、一定のペースでさあ行くぞ、といった調子の練習を繰り返しても、果たして実際の試合で通じるのかどうか。早い話が、統計ではゴールの80%はペナルティ・エリア内でのシュート(ヘディング)で決まっている。それを考えて、もっと実際の試合の場合に即した練習をするべきだろうというのである。


ワールドカップは1950年から

 古い話というのは我々の年齢には懐かしいものだが、クラマーは歴史を語らせれば尽きることなく沸いて出ても、それが今に、未来に結びつける方だ。だから、ドイツはもちろんヨーロッパのサッカー界、コーチ社会でも貴重な存在として、多くのスピーチの依頼があり、会合への出席を請われている。かつて70ヶ国をコーチした彼の実績の上にスピーチを重ねると90ヶ国になるという。
 ワールドカップとの付き合いでも彼の古さは隔絶している。何しろ、大会を最初に見たのが1950年の第4回大会なのだから。
 54年のスイス大会から66年のイングランド大会までの4回は、DFBのコーチの一人として、70年のメキシコ大会から90年のイタリア大会までの6大会20年間はFIFAの技術委員として。94年米国、98年フランス大会は行けなかったが、前回の2002年は日本各地を回った。
 それだけ古くから見ているだけに、1958年のブラジル代表、あの若いペレが登場し、世に言う4−4−2システムをビセンテ・フィオラが引っさげて圧倒的な強さを見せた大会についても、クラマーによると、ブラジルは50年、54年の苦い経験から、まず守備を強くすることを考え、カウンター攻撃の効果を高めることから始まったと見ている。
 驚くのは、その記憶の確かなこと、この58年のブラジル優勝メンバーの配置と選手の名前と特長を語ることができるのだから…。


ディフェンダーに必要な「残心」

 このワールドカップという大会に自分が指導したメキシコ・オリンピックの銅メダルチームを登場させたいと望んでいた。残念ながら釜本邦茂が病気のために予選に出場できず、70年メキシコ大会に賭けた彼の夢は消えてしまった。だから、98年のフランス大会、2002年のベスト16進出、来年のドイツ大会の予選突破と、3大会続いて出場できるようになったことをとても喜んでいる。
 それだけに、日本代表がアンゴラとの対戦でチャンスを数多く作りながら1点にとどまったのは不満のようだった。
 DFで私がアレックスが相手のキックフェイントに簡単に抜かれたことを言うと、「日本のディフェンダーは相手の動きに対して反応が早すぎる」(過剰反応)。2番手、3番手の動きも気をつけなければ」と。そして、かつて彼が日本選手に説いた「さんしん」を持ち出した。これは剣道用語の「残心(ざんしん)」で、打った後も相手の反撃に備える心構えのこと。ここから当時の日本選手に、一つの動作のあとの次への備えを注意していたのだった。今も昔も、相手を食い止めるための心の備えと、その実際的訓練は欠くことのできないものだ。


(週刊サッカーマガジン 2005年12月6日号)

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